御茶屋御殿跡(うちゃやうどぅんあと)と石造獅子


御茶屋御殿跡


現地の案内板に分かりやすい解説がありましたのでご紹介します。

御茶屋御殿跡(うちゃやうどぅんあと)…御茶屋御殿は、1677年につくられた王府の別邸で、国王が遊覧し、冊封使(注1)などを歓待したところです。また、1683年にやってきた冊封正使汪揖(おうしゅう)は、首里城の東にあるので『東苑』と名付けました。
御茶屋御殿では、茶道、生花、武芸などの様々な芸能が行われました。さらに、ここに遊んだ文人遊客によって、程順則(注2)の『東苑八景』など、多くの詩や琉歌が残されています。
沖縄戦の後、御殿跡は首里カトリック教会となり、苑内の菜園跡は城南小学校になっています。昔を偲ぶものとして、南側斜面の岩陰に石造の獅子(全長1.6m)が修復されて残っていましたが、がけ崩れの恐れが生じたため、現在は雨乞嶽の近くに移設されています。
歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』 那覇市教育委員会 平成5年(1993年)3月設置



碑文 碑文


御茶屋御殿石造獅子(うちゃやうどぅん せきぞうしし)…那覇市指定文化財(有形民俗文化財)昭和61年(1986年)6月25日指定 1977年につくられた別邸御茶御殿にあった石造の獅子で、火難をもたらすと考えられた東風平町富森(こちんだちょうともり)の八重瀬岳(やえせだけ)に向けられていました。
18世紀、文人として名高い程順則(ていじゅんそく)が、御茶屋御殿を詠んだ漢詩『東苑八景』に『石洞獅蹲』と記され、御殿を火災やその他の災厄から守る獅子が称えられています。
もとは、現在の首里カトリック教会の敷地にありましたが、がけ崩れの恐れが生じたので、現在地に移しました。
歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』 那覇市教育委員会 平成5年(1993年)3月設置



石獅子


(注1)冊封使(さくほうし、さっぷうし)…中国王朝の皇帝が付庸国の国王に爵号を授けるために派遣する使節をいいます。通常、冊封正使と副使の2名が皇帝に任命され、兵役・従人・舟人・医師や諸技術者など数百人を率いて渡海し、4〜8ヶ月間、琉球に滞在しました(HP「沖縄旅行案」より)。

(注2)程 順則(てい じゅんそく、1663/11/27〜1735/1/1)…第二尚氏王統の琉球王国の士族で、琉球名は寵文(ちょうぶん)。琉球で最初の公的教育機関となる明倫堂(1714年開設)の創設を建議しました。また、後に日本各地の寺子屋に普及する六諭衍義(りくゆえんぎ―寺小屋の教科書)を清から琉球へ持ち帰ったことで知られます(Wikipediaより)。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 御茶屋御殿跡と石造獅子 御茶屋御殿跡の石柱は、カトリック那覇教会の反対側の角にあり、石造獅子は、雨乞嶽の東にあります。 


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