大角座(ウフカクジャー)


大角座古地図



首里鳥堀町の交差点から500メートルほど下ると、ひときは目立つ歩道橋を張り巡らせた歩道橋があります。ここは赤田(あかた)の交差点で、大角座の石碑が寂しく立っています。

この地は、下の案内碑の説明にあるように、首里から与那原、南風原、弁ヶ嶽に向かう道が分かれる三叉路でした。その南には、上の古地図に示した場所に赤田の御待所(うまち どぅくる)があり、行幸帰途の国王を、ここで家臣が出迎えたところでもあります。御待所は、王府直轄の祭祀が行なわれるときには、各地から集まったノロの待機所に使われ、ここで儀礼が行なわれることもあったそうです。

現地の碑には、次のとおり記されています。
この地の交差点の通称名称。道が大きくカーブしている形状を、大きく張った顎(あご)(方音でカクジ)にみたて、「大きな顎(ウフカクジャー)」と名付けられたというが、詳細は不明。「大角座(ウフカクザ)」はその当て字。 王国時代、大角座は、首里(しゅり)から与那原(よなばる)・南風原(はえばる)、弁ヶ嶽(べんがだけ)方面に向かう道が分かれる三叉路であった。大角座からわずかな所に「赤田御待所(あかたウマチドゥクル)」があり、「東御廻り(アガリウマーイ)」など遠方に出かけた際の「坂迎(サカンケー)」(迎接)の場所であった。
1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)以降に、与那原方面の里道(りどう)(現市道鳥堀南線)が開かれ、1933年(昭和8)頃、大角座から汀良(てら)・石嶺町(いしみねちょう)へ延びる首里2号線(現市道鳥堀石嶺線)が開通した。
1945年(昭和20)の沖縄戦後、米軍により大角座周辺の道が開かれ、その後、県道82号線として整備された。現在、大角座の交差点は82号線に4本の道が交差する六叉路(ろくさろ)の交差点となっている。



赤田交差点 案内碑
赤田交差点の目立つ歩道橋 案内碑

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