ニシムイ美術村跡


改修整備された小公園

平成29年4月−久々に訪れたら周辺が改修整備され小公園になっていました


第二次大戦後、米軍政府によって絵画教室や展覧会の開催、クリスマスカード制作などを目的とした文化部芸術課が設けられました。そこで美術技官に任命された画家達が、旧石川市(現うるま市)の東恩納(ひがしおんな)でアトリエ集落を築いたのでした。その後、米軍の南部移動に伴い、官職を解かれますが画家達の気運の高まりもあり、 昭和23年、自分達で美術村を首里儀保の北に位置する、虎瀬山(トラズ山)にアートコロニーを形成しました。それは首里城から見て北にある森だったので、通称ニシムイ美術村と呼ばれました(以上、HP「ニシムイ美術とは」などより、下記ご参照)。

この地は、かつては松が生い茂る景勝地で、「西森小松(にしむいしょうしょう)」と謳われた首里八景の一つでした。現在、西森一帯は住宅地となり、美術村という画家達の理想郷は、残念ながら、その面影を全く残しておりません。美術村跡の由緒書きが立っているだけです。

《ご参考》沖縄では北のことをニシ、森のことをムイといいます。

ニシムイ美術村については、原田マハさんの小説「太陽の棘」の舞台となりました。内容は ⇒ コチラから



現在は住宅地 由緒書き
ニシムイ美術村のあった周辺は住宅地となっています 那覇市が設置した美術村跡の由緒書き


アートコロニーの配置図

『新生美術』平成4年10号掲載の「西森美術村追想(大城精豊)」よりお借りしました


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ ニシムイ美術村跡 美術村跡は高台ですので、ゆいレールの走っている県道82号線から直接行くことはできません。儀保交差点経由で二本北の通りを西へ。由緒書きの立っている場所から更に西へは行き止まりです。



改修される前の掲示板

改修整備される前の現地です


◎ニシムイ美術村で活躍した画家たちの作品

掲載の都合上、元の絵のサイズに合わせて縮小しておりません



山元恵一
山元恵一(やまもと けいいち) 「貴方を愛する時と憎む時」 1951
末吉安久 玉那覇正吉
↑ 末吉安久(すえよし あんきゅう) 「紅型3」 1966 ↑ 玉那覇正吉(たまなは せいきち) 「老母像」 1954
大城皓也 安次嶺金正
↑ 大城皓也(おおしろ こうや) 「聖火到着」 1964 ↑ 安次嶺金正(あしみね かねまさ) 「薫風」 1955
安谷屋正義 屋部憲
↑ 安谷屋正義(あだにや まさよし) 「まんま」 1951 屋部 憲(やぶ けん) 「爬竜船」 1950

以上の絵は、現地小公園の掲示物を撮影したもの。


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