禰覇川(にーふぁがー)




禰覇川(にーふぁがー)は、18世紀のはじめに活躍した和文学者の平敷屋朝敏(へしきや ちょうびん)の弟である禰覇里之子(にーふぁ さとぬし) がつくったと伝えられています。

ただし、1700年ごろに作成されたと思われる「首里古地図」に記載されており、母方の祖父で、和文学者だった屋良宣易(やらせんえき)の屋敷が近くにあることから、禰覇との なんらかの関わりが考えられます。

平敷屋朝敏は、『苔の下(こけのした)』、『貧家記(ひんかき)』などの物語や、組踊で唯一の恋愛物である「手水の縁(てみずのえん)」を著し、和歌や琉歌 も残しています。しかし、朝敏は、「国家の御難題」を企んだとして、共謀者の友寄安乗(ともよせあんじょう)らとともに、1734年6月26日、数え35歳で刑場の露と消えました。この事件は、世に「平敷屋・友寄事件」として知られていますが、一族にまで累がおよぶ過酷な処刑が行われたにも関わらず、その真相は謎に包まれています。
那覇市教育委員会 平成15年3月設置



禰覇川 古地図


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 禰覇川 中の川から西へ50メートルほどにあります。


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