当蔵村屋(とうのくら むらやー)跡と泰山石敢當(たいざんいしがんとう)



当蔵村屋


ここに行きつくのには、ずいぶん苦労しました。地図にも載っていない。Netにも地図を表示するサイトがない。場所を特定できるようなヒントもない。当蔵町で最初に出会った方に「当蔵の"むらやー"をご存じありませんか?」と尋ねましたが、聞いたことがないと言われたり、何番目かに尋ねた人は、この道を右に回って左に回ると7階建てのマンションがあり、その裏に何かあったような…と言われたので行ってみましたが、何も見当たりませんでした。都合、5人に聞きましたが、どなたもご存じありませんでした。全員、地元に住んでいる方たちなのですが、ほかの方たちは「”むらやー”って何ですか」という人ばかりなので、場所を聞くまでもありませんでした。聞くのをあきらめ、自分で路地を歩き回って、上の写真の説明標識を見つけました。当蔵公民館の裏でした。村屋と公民館を結び付ければ簡単に分かるのですが、そのときは考えが及びませんでした。

当蔵町の村屋跡は住民から租税を徴収する役所だったようです。村屋があった場所は、今は公民館となっており、住民の地域活動に人が集う場所でもあります。首里城祭りの前になると、下の写真:左の村屋跡で当蔵青年会のメンバーが祭で披露する旗頭の練習をする場所になるそうです。

また、この近くの路地に「泰山石敢當」と刻まれた石敢當があります。石敢当は魔除けです。このあたりの道は、曲がりくねっています。理由は、真っすぐな道は「魔物が寄る」と忌み嫌った名残りでもあります。ここの石敢當は、高さが1メートル余ほどあります。

その魔物よけでおなじみの石敢當。当蔵町には辻と民家の間にひっそりと立っています。よく見ると『泰』の字に削られた跡があります。琉球最後の国王・尚泰王の時代に、国王の名前が刻まれていることはおそれ多いと、尚泰王に遠慮して『泰』の字を削ったそうです。

なお、「泰山」とは、中国・秦の始皇帝の頃から崇められた山東省の山で、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されています。HP「御願ドットコム」によれば、中国から久米村に伝えられた石敢當造立の習俗を首里の町がいち早く取り入れたのだそうです。



村屋 泰山石敢當
当蔵村屋の跡地 立派な石敢當、泰山の文字が削られています


石敢當について詳しくは ⇒ コチラから

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 当蔵村屋  泰山石敢當は、上の説明版のある所から東へ行ったところの角の家の前に立っています。


  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ

Copyright © 2015 ハイホーの沖縄散歩 
logo