美連嶽(めずらだけ)


美連嶽


綾門大道(あやじょううふみち) の中山門跡の すぐ前にありました。綾門大道は、往時は天界寺、玉陵、安国寺 、大美御殿(うふみうどぅん)、中城御殿(なかぐすくうどぅん)、御客屋(うちゃくや)などが建ち並び、首里城に至る琉球王国の玄関口でした。美連嶽は、免津良嶽ともいわれ、「めずらだけ」とも「みんちら うたき 」ともいわれています。

現地の案内碑には、次のとおり記されています。

美連嶽(めずらだけ)
那覇市指定文化財・史跡 指定年月日:1998(平成10)年3月20日
首里城歓会門(かんかいもん)から西へのびる綾門大道(あいじょううふみち)の西端に建っていた中山門跡地の南側にある御嶽で、俗に「ミンチラウタキ」と呼ばれる。
『首里古地図』(18世紀)に「免津良嶽」と記され、拝殿に描かれている。王府時代は真壁大(まかべのおお)あむしられ(三大女神官の1人)の管轄であった。拝殿については『球陽』の尚質王代の付の条に康熙年間、世子尚貞の時(1662〜68)の創建で、その後の世子殿(せいしでん)のお金で修楫されたと記されている。王府時代は御嶽の東に御客屋、安国寺、玉陵が連なり、御嶽の前の大道には中山門が建ち、大道をへだてて世子殿(1875/明治8年大中村へ移転)、大美御殿(うふみうどぅん)が連なり、一帯は王都の玄関口とされていた。
昭和戦前期まで境内は広さ約250坪ほどのおだやかな起伏のある小丘で、一面芝生が広がり、東よりに高さ5m程の奇岩が直立し、その北面に接して低い石積みの門構をつくり、石香炉が置かれさらにその手前には拝殿跡の礎石が残されていた。奇岩の背後の斜面は境界に沿うようにして竜舌蘭(りゅうぜつらん)や阿旦(あだん)などが東西に細長く茂っていた。現在境内は、6つに分割されて民家が建ち、その間に御殿の岩が残されている。
那覇市教育委員会 平成15年3月設置



古地図

首里古地図には「免津良嶽」とある。中山門も見える(沖縄県立図書館デジタル書庫より)。


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 美連嶽 中山門跡に隣接しています。土産物店「首里琉染」の向かいにあります。


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