銘苅(めかる)古墳群と伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓


伊是名殿内の墓
県内最大級の伊是名殿内の墓


銘苅(めかる)古墓群は、現在の新都心内で発見された、沖縄県内でも屈指の規模を誇る古墓群です。平成2年(1990年)から平成15年(2003年)にかけて那覇市教育委員会文化課によって発掘調査が実施され、数百基余りの墓が発見されています。

その墓は、古くは沖縄グスク時代(1100〜1400年代後半)から琉球王府時代(1429〜1879))、そして明治時代と、たいへん長い期間にわたって造られた様々な墓が集まっています。墓の被葬者の多くは、おそらくは琉球王府の士族層であったかもしれません。現在、古墳群の周囲は塀で囲まれており、立入禁止できません。雑草退治のためでしょうか、ヤギが数匹、放し飼いになっています。なお、銘苅古墳群は、平成19年(2007)に国の史跡に指定されました。

その中に、沖縄の大型墓の典型的な形、亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか)のうち、県内最大規模級の伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓があります。近年の区画整理で伊是名殿内をはじめとする一部の古い墓が保存されることになりました。

伊是名殿内の墓の案内板には、次のとおり記されています。
伊是名殿内の墓は、伊是名・伊平屋両島の総地頭家(注1)、伊是名家の墓です。銘苅墓地群の中にあって他の墓とは、その規模・造形などが大いに異なる亀甲墓です。
この墓は小高い山を三面に切り取り、その切り取った土で敷地を造成してつくられた、面積約660平方メートルの県内最大級の亀甲墓です。その規模・建造技術は沖縄県内の墓の中でも傑出したもので、道教(風水)の思想を基につくらています。
墓庭を囲む石垣には「相方積み(注2)」を用い、隅には突出した石「隅頭」があり、上級士族の屋敷囲いの石積みを彷彿させます。入口には、本門と中門の2つの門があり、入口をクランク状につくることにより、ヤナカジ(悪い風)が直接墓本体に当たらない工夫が施されています。
中門を抜け墓庭に入ると、左手には葬儀に用いた用具等を処分するための、石を積んでつくられた穴があります。また、墓本体の正面右手には土地の神であるヒジャイ(后土神)を祀る祠が見られます。
墓室内は天井をアーチ状に組み、奥の壁に向かって3段、両側の壁に1段の棚が設けられいます。さらに墓室入口付近にあるシルヒラシドゥクル(洗骨まで遺体を安置する場所)には、床面の石を外すと棺を置くための場所が現れる細工が施されています。
このように墓内外の施設の精巧なつくりは、沖縄県において他では見ることのできないものです。
この墓は、その外観より18世紀代の様式のものであることがうかがえます。亀甲墓は17世紀中国南部から伝わり士族階級に広がり、18世紀代に沖縄において独自の発達をして完成された墓で、この墓はその特徴をよく表している代表的な墓といえます。



マユ ヒジャイ
正面のアーチをマユといいます。上流士族の印です 土地の神を祀る「ヒジャイ」です
隅頭 中門
魔除けの意味がある隅頭です ヤナカジ(悪い風)を防ぐクランクです


(注1)総地頭家…上流士族
(注2)相方積み…石を多角形に加工し、互いに噛み合うように積む技法。亀甲乱積みともいう。


案内板 葬儀の用具入れ
入口にあった案内板(左クリックで拡大します) 葬儀の用具を入れたそうです
銘苅古墳群 ヤギが放し飼い
数百基余りの墓が発見された銘苅古墳群 古墳群にヤギが放し飼い


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 銘苅古墳群 伊是名殿内の墓は、那覇市消防本部の北西に、銘刈古墳群の一部は、なは市民活動支援センターの北にあります。


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