松崎馬場跡(まつざきばばあと)


松崎馬場

現地の案内碑をcopy


案内碑が龍譚池の傍ら、「当蔵」バス停近くにあります。馬揃えが行われていたような往時の面影は何もありませんが、HP「レファレンス協同データベース」によれば、松崎馬場は、馬場の名があるが、競馬といっても馬をとばすのではなく「脚組(あしくま)す」といって早足(一本の脚は常に地につく走法)で勝負させたもので、また、競馬の舞台ではなく、琉球王朝による公式行事の会場として使用されたのだろう。首里城南にある崎山馬場は、歴代の琉球国王にこよなく愛された「馬揃え」の舞台、紛れもない競馬場であると記されています。

松崎馬場跡

龍潭地の畔に立つ案内碑

現地の案内碑には、次のとおり記されています。

松崎馬場跡(マツザキババアト)  那覇市首里当蔵町1丁目地内
首里城から浦添(うらそえ)方面に至る街道の一部及び広場の名称。龍潭(りゅうたん)に突き出した一帯には松が植えられ、そこから松崎と名付けられた。
1801年に、この地(現沖縄県立芸術大学敷地)に「国学(こくがく)」(琉球王国の最高学府)が置かれた際、松崎前の条路に木々が植えられ、この一帯が整備された。中国から冊封使(さっぷうし)が来琉した際には、この地で「重陽宴(ちょうようえん)」が開かれ、爬龍船競漕(はりゅうせんきょうそう)見物のため桟敷席(さじきせき)が設けられた。1989年(平成元)に「国学」及び「首里孔子廟(こうしびょう)」(1837年設置)の石垣が確認され、県の指定文化財(史跡)となった。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 松崎馬場跡 龍潭池の東の端に立っています。馬場があったという面影はありません。


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