円山号(園山号:まるやまごう)跡


円山号跡


円山号とは、昔、那覇市にあった百貨店の名前です。昔といっても太平洋戦争前のことですので、沖縄の方でも、ご記憶のあるのは80歳以上でしょうか。那覇市の大門前通りにありました。創始者の尾花仲次(おばな ちゅうじ)氏は兵庫県の出身で、大正初期に来県したときは路傍商人(露天商)から初め、のち雑貨店円山号をつくり、化粧品、その他の雑貨を販売していました。

尾花仲次氏が立派なビルを建てた昭和10年といえば、まだ三越ができる20年も前です。その当時、デパートは沖縄には山形屋しかなかったので、沖縄県史によれば、当時、民間の建物としては沖縄一を誇っていたそうです。

しかし、その建物も太平洋戦争後期の1944年(昭和19年)10月10日の空襲により半壊し、1949年(昭和24年)12月、アメリカ軍政府・沖縄民政府が知念村から移転してきたのを機に補修されて事務所となり、さらに1951年(昭和26年)12月琉球政府立法院、1954年(昭和29年)8月には琉球政府社会局が置かれるなど、行政庁舎ビルとして使用されてきましたが、現在、跡地には「琉球サンロイヤルホテル」が建っています。

説明板に書かれているのは、次のとおり(原文のまま)です。 

沖縄一のメインストリート「大門前(ウフジョーメー)通り」に面して建てられた百貨店跡。
店主は兵庫県出身の尾花仲次(おばなちゅうじ)氏。尾花氏は1879年(明治12)生まれ。1912年(大正元)8月に来沖し、露天(ろてん)商人から始め、後に化粧品を中心とした雑貨卸問屋(おろしどんや)「円山号」を大門前通りに開店した。
尾花氏は商才に長けていたといわれ、さらに営業努力もあって、1935年(昭和10)10月、通りに面して、約150坪の敷地に鉄筋コンクリート造り3階建て(一部4階)の円山号百貨店を新築開店した。それまでの店は「円山号分店」として営業された。
百貨店としては山形屋(やまがたや:1930年開業)に次ぐ出店で、屋上からの展望と、おしゃれで真新しい百貨店に、那覇(なは)市民の人気が集まったが、1944年(昭和19)10月10日の10・10空襲で半壊した。
1949年(昭和24年)、アメリカ軍政府・沖縄民政府が、知念村(ちねんそん)から那覇へ移転してきたのを機に補修され、1950年(昭和25)5月に琉球軍政官府、さらに1952年(昭和27)に立法院が置かれるなど行政庁舎ビルとして使用された。
1953年(昭和28)から始められた一帯の区画整理後も建物は使用されたが、1966年(昭和41)9月に取り壊され、駐車場敷地となり、その後、ホテルが建てられた。

円山号跡


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