久米村発祥地記念碑





松山公園の通りに面したガジュマルの木の下に、船の形をした碑があります。久米村発祥の記念碑です。

今からおよそ600年ほど前、中国の福建(ふっけん)などからビン人(びんは門構えの中に虫)三十六姓と呼ばれる人々が渡来し、この地に居を定め久米村(くにんだ:唐栄:トウエイ)を築きました。以来、久米村の人々は、外交文書の作成などを通じて、王国の国際交流・交易を促進し、また中国の文化・文物を導入して、沖縄の政治・経済・文化の発展に大きく寄与しました。三十六姓といっても、三十六の姓という意味ではなく、当時の中国では「三十六」はとても多いという意味で、その中国から大勢の人が渡来したためそう呼ばれました。

そして、久米村が沖縄の歴史と国際交流に果たしてきた役割を顕彰し、今後の友好・交流の発展を祈念して、松山公園内に記念碑が建立されました。 「久米三十六姓」の子孫に中には琉球王国の高官になった人物も大勢おり、なかでも蔡温(さいおん)は、三司官(総理大臣クラス)にまで出世しました。那覇市牧志には今でも、「蔡温橋」という名前の橋も残っています。



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