建善寺跡(けんぜんじあと)




この寺は、当初、那覇市首里崎山町2丁目にありましたが衰退し、その後、沖縄県首里当蔵町3丁目に再建された臨済宗の寺院です。開山など詳しいことは分かっていません。幾度も衰退と再興を繰り返していましたが、昭和のはじめに払い下げられ、廃寺となりました。現在も、寺の石段が残されています。

現地の案内碑には、次のとおり記されています(原文のまま)。
琉球王国時代の臨済宗(りんざいしゅう)の寺院跡。山号は霊芝山(れいしざん)で、天王寺(てんのうじ)の末寺であった。
景泰(けいたい)年間(1450 〜 1456年)に第一尚氏尚泰久(しょうたいきゅう)王が創建した寺院とされる。
1609年の薩摩(さつま)侵攻後に廃寺となったが、1619年に金武王子尚久(きんおうじしょうきゅう)らによって再興(さいこう)され、一時、金武家の菩提寺(ぼだいじ)となった。創建当初、寺は首里崎山村(しゅりさきやまむら)にあったが、再興時に現在地に移転したとされている。
寺域(じいき)は800坪余で、寺の後方の丘陵斜面を利用した見事な庭園があったという。昭和初期に個人に払い下げられた。現在、寺の入口の石段と、良質な水で知られた井戸が残る。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 建善寺跡 徒歩の方は、そのまま進めば首里城と円覚寺の間に出ることができます。逆コースは分かりにくいので、初めての方は避けた方がいいでしょう。


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