一中健児(いっちゅうけんじ)の塔





沖縄で健児(けんじ)の塔というと、糸満市の沖縄戦跡国定公園にある慰霊塔が知られていますが、那覇市首里にも「一中健児の塔」があります。一中というのは沖縄県立第一中学校のことで、現在の首里高校の前身です。一中健児の塔は、正面には、平和を象徴する鳩とそれを支える万人の手をデザインした白・黒・ベージュの大理石の壁面装飾があり、その上に久米島産の2トンもある緑石の一中健児之塔の碑が置かれています。供花台はギリシャ産の2トンの大理石の切石をそのまま使っているそうです。






この塔の沿革は次のとおりです(養秀同窓会HPより)。

第二次世界大戦の最中、昭和二十年三月二十七日、沖縄県立第一中学校においては、米軍の砲爆撃下この地で異例・悲壮な卒業式が挙行され、第五学年生と第四学年生が同時に卒業し、ただちに第三学年生と共に鉄血勤皇隊が編成され、第五砲兵司令部に配属された。また、前年十一月から通信隊要員として教育訓練を受けていた第二学年生は、三月二十八日、少年特別志願兵として電信兵第三六連隊に入隊を命ぜられ、各無線中隊に配属された。
鉄血勤皇隊、通信隊の学徒兵は、郷土防衛の若い血潮を燃やしつつ、陣地構築、通信、伝令、弾薬・糧食の運搬、戦傷兵の輸送その他の任務に精魂を傾け、熾烈な砲爆撃下に決死敢闘、対戦車肉薄攻撃、挺身斬込みに参加し、終始軍の一員としてその責務を遂行した。
非戦闘員であるべき学業半ばの年端もゆかぬ二百有余の学徒兵は、いまだかたい蕾のまま散華した。
先の戦争では、教職員、学徒兵を含め、八百有余の同窓の方々が戦没された。まことに痛恨のきわみである。
昭和十五年の沖縄県立第一中学校創立六十周年記念事業として養秀寮が建設されたゆかりのこの地に、一中健児之塔を建立し、志むなしく斃れた一中健児を追慕し、謹んで御冥福を祈り、世界の恒久平和を希求する。
社団法人 養秀同窓会

地図をご覧になる方はコチラから ⇒一中健児の塔 首里の赤マルソウ通りから北に1本入った養秀会館の北にあります。広い駐車場もあります。


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