泉崎橋跡(いずみさきばしあと)


戦前の泉崎橋

戦前の泉崎橋(現地の案内碑からcopy)


那覇の久茂地川(くもじがわ)に架けられた橋跡です。泉崎村とその対岸に浮かぶ那覇の「浮島」を結んだものです。橋を架けられた年は不明ですが、1683年来琉の冊封使・汪楫(おうしゅう)が著した『使琉球雑録』に「泉崎橋口」と登場します。

その後、1717年、那覇港への土砂の堆積を防ぎ、川の流力を高めるために行われた浚渫工事に伴い、泉崎橋の規模を大きくし、三連アーチの石造橋としました。 この橋は、那覇と泉崎、楚辺(そべ)・壺川方面を結ぶ交通の要所にあり、那覇側の橋のたもとには道を隔てて、孔子廟(1673年創建)・明倫堂(1718年創建)があり、泉崎側には船荷の卸し場や市場が立ち、賑わいを見せたそうです。

1756年来流の冊封使・周煌(しゅうこう)が著した『琉球国志略』では、泉崎橋が「球陽(きゅうよう)八景」の一つ「泉崎夜月(いずみざきやげつ)」として描かれ、漢詩や詩が詠まれるなど、名橋として知られたと記されています。

1936年(昭和11)に発動機船を通すため、撤去する計画が持ち上がったそうですが、保存運動が起こり残されました。しかし、1945年(昭和20)の沖縄戦で破壊され、1958年(昭和33)に元の位置から120m程下流に、アーチのかかったコンクリート橋が架けられました。



泉崎橋 案内碑

現地の案内碑


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