崎山馬場(さきやまばば)ギャラリー


崎山馬場ギャラリー


首里崎山町を歩いていたら「崎山馬場ギャラリー」の石碑がありました。碑には「歴史散歩の道ヒジガービラまーい」とありましたので、調べてみました。「ヒジガービラ」という名は、首里城よりヒジ川橋(現金城ダム付近)を抜ける坂の途中にあるカーの名前が「ヒジガー」だったことに由来しているそうです。「ガー」は漢字で書くと「川」ですが、井戸、泉の意味です。「ビラ」は坂のことです。「まーい」は回る、巡ること。街を回ること、街を巡ることは「まちまーい」といいます。

「崎山馬場ギャラリー」の案内板には、次のとおり記されています。案内板には全ての漢字に振り仮名が着いていますが、読みにくいので、一部を除き省略します。なお、「崎山」は、「きやま」ではなく「きやま」、方言では「さちやま」です。

「崎山馬場ギャラリー」
崎山村、赤田村、鳥小堀村(トゥンジュムイむら、現在の首里鳥堀町)は、首里三箇(しゅりさんか)と呼ばれ、王府時代から庶民のまちとして栄えました。
特に廃藩置県(1879年)以降は、泡盛づくりが盛んに行なわれ、県下にその名を轟かせました。
ここから東へ90mほど行ったところから、直線に東へ延びる約230mの道は、かつて「崎山馬場(サチヤマウマウィー)」と呼ばれ、王家御用の馬場でした。ここでは、主に馬術訓練が行なわれ、時には王様もお出ましになったと伝えられています。
また、崎山村の人たちは、馬場を利用して綱引きを行なっていました。
馬場であった道は再整備がなされ、せせらぎや彫刻のある「崎山馬場ギャラリー」として、今でも崎山地区の中心的な道空間となっています。
歴史散歩の道『ヒジガービラまーい』那覇市教育委員会 平成6年(1994年)3月設置

では、歩道に並んでいるたくさんの造形作品の内、一部をご紹介しましょう。



彫刻 彫刻
彫刻 彫刻
彫刻 彫刻


このページは、首里城公園のHP、Wikipediaを参考に作成。
地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 崎山馬場ギャラリー


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