金城村学校所跡(かなぐすくむらがっこうじょあと)





真珠道と赤マルソウ通りの交差点に案内碑が建っています。琉球王国時代の首里金城村(しゅりかなぐすくむら)の学校所と役所跡です。往時をしのぶものは何もありません。案内碑には、次のとおり記されています。

金城村学校所跡(かなぐすくむらがっこうじょあと) 那覇市首里金城町1-21
琉球王国時代の首里金城村(しゅりかなぐすくむら)の学校所及び役所跡。
村学校所は士族(しぞく)子弟の教育機関であり、首里・那覇などの各村に建てられた。士族の子弟は7〜 8歳で入学し、元服する14〜15歳まで、「三字経(さんじきょう)」の読み書きから、「論語(ろんご)」・「孟子(もうし)」などの四書(ししょ)を学んだ。
金城村学校所は1835年に創立したといわれ、「訓蒙館(くんもうかん)」と名付けられた。王国末期には136人の生徒が在学した。
学校所には「中取(なかどり)」・「筆者(ひっしゃ)」といった王府役人も詰め、村の風俗・衛生を取り締まるなど、役所の機能も有した。
1879年(明治12)の沖縄県設置後、学校所は廃止されて村の共有地となったが、その後個人に払い下げられた。





地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 金城村学校所跡 首里城から真珠道を降りてきて赤マルソウ通りの交差点の角に案内碑が建っています。赤マルソウとは、味噌やしょうゆなどを作っている会社で、昔はこの道沿いにありましたが、現在は糸満市西崎に移転しました。オリオンビール創業者の具志堅宗精氏は叶ヤマルソウの出身だとか。


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