円覚寺跡





円覚寺は、首里城久慶門の北、弁財天堂の東にありました。この寺は琉球における臨済宗の総本山で、1494年に第二尚氏王統の尚真王が父である尚円王の霊を祀るため、鎌倉の円覚寺を模して建立したと伝えられています。開基は京都南禅寺から初めて琉球に臨済宗を伝えた芥隠承琥(かいいんじょうこ)です。第二尚氏の支援を受けて繁栄し、寺のすぐ西にある円鑑池では、中国からの冊封使を招いて宴が開かれるなど、琉球王朝史の中で極めて重要な位置を占めていました。

寺は下の平面図のように、禅宗の「七堂伽藍(しちどうがらん)」の形式で建造され、境内には多くの建物が配置されていました。中でも仏殿は琉球建築の粋を集めた建築物で、内部中央の須弥壇(しゅみだん)には仏像が安置され、装飾が施されていました。昭和8年(1933)に総門(そうもん)、山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)など、計9件が旧国宝に指定されていましたが、すべて沖縄戦で破壊され、焼失しました。

その後、昭和43年(1968)より復元整備が進められ、現在、下の写真の総門とその両側の石垣、右脇門、放生池が復元されました。なお、池にかかる放生橋(上の写真)は往時のもので、中国の閃緑岩(せんりょくがん)で造られているそうです。また、この放生橋の勾欄(こうらん)には、動植物や唐草文が見事に彫刻されており、国指定重要文化財に指定されています。




なお、放生橋と三門、鐘楼など、戦前の円覚寺の写真がWikipediaにあります。ご覧になる方は ⇒ コチラから





首里古地図(石碑の写真をcopy)

このページは、首里城公園のHP、Wikipediaを参考に作成。
地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 円覚寺跡 円覚寺は、首里城の久慶門の北側にあります。現在は、総門から中には入れません。


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