弁嶽之川(べんがたけのかー)


弁嶽之川


琉球王国時代に、「辺戸之御水且吉方(かつえほう)御水献上」という規式があり、元旦の朝、辺戸大川の水と首里城から見たその年の吉方の水を国王に献上するのが恒例となっていました。ここ弁嶽之川は、卯の方が吉方 (恵方)の年に「お水取り(注1)」をする井泉でした。場所は弁ヶ嶽にあります。弁ヶ嶽は、山全体が崇拝の対象とされており、国王自らお参りをする格式高い御嶽です。弁嶽之川も山の一部として崇拝されたため、「お水取り」対象の井戸となったのではないかと考えられています。

首里城周辺の吉方にあたる井泉は、『琉球国由来記』によると、
北の子(い)の方は、浦添城内にある鏡川
丑の方は、同じく浦添城内にある阿佐名ガー
寅の方は、現在の西原町幸地樋川
卯の方は、首里鳥堀の御嶽の御川(ビンのウタキのウカー)
巳の方は、首里崎山樋川
午の方は、識名川
未の方は、識名喜堀樋川
申の方は、識名石志屋川
亥の方は、浦添沢岻(たくし)樋川
辰、酉、戌は定めがなかったため、沢岻樋川で汲まれていたそうです。このなかで、現在もお水が汲めるのは澤岻樋川だけのようです。

(注1)お水取り…琉球王国時代に行われた行事です。具体的には、国王、国民の健康、繁栄、五穀豊穣を願い、旧暦12月20日に首里城から約100キロ離れた沖縄本島北部の辺戸へ使者を派遣して、辺戸ノロの取った水を取り寄せ、それを元旦に首里城周辺の吉方にあたる2箇所の泉の水を添えて、国王へ献上する行為を指します。首里城周辺で「お水取り」の対象となった井泉は、上記のとおりです。
国王は、これらの神聖な水を祖霊や神仏に供えて、みずからも「お水撫で(ウビナディ注2)」をしたと言われています。
(注2) お水撫で…お水を盛った器に中指を浸し、額を3回撫でる呪法で、心身を清める意味合いがありました。

広報「なは」、湧き水fun倶楽部さんなどを参考にしました。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 弁嶽之川
駐車場はありません。ゆいレール首里駅から歩いても15分ほどです。


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