安里八幡宮(あさとはちまんぐう)




安里八幡宮は、那覇市安里にある神社で、琉球八社(注1)の一つです。
八社の中で唯一の八幡宮(注2)で応神天皇、神功皇后、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀っています。他の7社は全て熊野権現(注3)を祀っています。

1713年に成立した『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』では、創建は1457年-1464年)であるとし、次のような伝承を残しています。

第6代琉球国王尚徳王の御代、兵を遣わして鬼界島(喜界島)を討伐しようとした。小島でありながら鬼界島が王に従わなかったため、王自らが出陣、その門出、城の麓に水鳥がいた。王は矢をつがえ、「今我軍が有利であるならば、この鳥をすみやかに射落とせ」と誓って、一本の矢を地に立て、一本の矢を放った。矢は鳥を射止めたので、王は帆を上げ出航した。
鬼界島へ向かう海路を進むと、今度は小鐘が海面に浮いてきた。船人達がこれを得ようと欲すると遠ざかるが、船の傍らより離れることはなかった。
そこで王は、「この戦に利があるなら霊鐘わが手に入るべし。帰国の後は八幡大菩薩を崇めるべし」と誓って右手を出すと、鐘は簡単に手に入った。
王は歓喜して輿を造って御座船に勧請し、祭祀を行った。本懐を遂げて帰国すると、王は矢を立てた場所に霊社を建て、浮鐘と神通矢を垂迹として八幡大菩薩と号し奉じた。

1648年の『琉球神道記 巻第5』では、これが第5代琉球国王尚泰久王御代の出来事であるとしています。

昭和19年10月に戦炎にて消失し、戦後、昭和37年に仮殿を建て現在に至っています。
以上、HP「安里八幡宮」、Wikipediaなどを参考に作成





(注1) 琉球八社(りゅうきゅうはっしゃ)…明治以前琉球国府から特別の扱いを受けた8つの官社で、波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・八幡宮・天久宮・金武宮のことをいいます。

(注2)八幡宮(はちまんぐう)…八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称されます。全国に約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮が総本社です。

(注3)熊野権現(くまのごんげん、または熊野神〈くまののかみ〉、熊野大神〈くまののおおかみ〉とも)…熊野三山に祀られる神であり、本地垂迹思想のもとで権現と呼ばれるようになりました。熊野神は各地の神社に勧請されており、熊野神を祀る熊野神社・十二所神社は日本全国に約3千社あります。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 安里八幡宮 安里1丁目と安里十字路の間にあるサンエーあさと食品館の東の角を北西に。緩やかな登坂を300メートルほど進むと突き当りにあります。正面に鳥居が見えてきますのですぐ分かります。その手前左に神徳寺があります。


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