行脚村跡(アンニャムラアト)


行脚村跡の碑


行脚村にあった阿弥陀仏堂 京太郎
行脚村にあった阿弥陀仏堂(現地の碑をcopy) 現在のエイサーの道化役 京太郎の衣装(津波三線店より)


ここは、ニンブチャー(念仏者)やチョンダラー(京太郎)と呼ばれた人々の居住地跡です。

ニンブチャーとは、HP「首里・那覇方言音声データベース」によれば、薩摩の琉球入り後、その宗教弾圧によって賤民(非人)に落とされた念仏宗徒とあります。葬式に鉦をたたき、また那覇の垣花(カチヌハナ) あたりではお経を読むこともあり、会葬者は、その鉦の音によって尋ねて行く場所が分かったのだそうです。

チョンダラーは、現在では、顔を白塗りにして滑稽な所作で場を盛り上げながら、エイサーの隊列の整理をするのが役割で、エイサーでの道化役ですが、Wikipediaによると、古くは、琉球にはチョンダラーと称される門付け芸があり、祝福芸、念仏踊り、人形芝居などを演じていたそうです。由来は京都から伝わったとも、京太郎という人物が作ったともいわれ、はっきりしていません。

現地の案内碑(上の写真)には、次のとおり記されています。

ニンブチャー(念仏者)、チョンダラー(京太郎)と呼ばれた人々の居住地跡。安仁屋村とも書く。
居住の由来は明らかではないが、18世紀初頭に作製された「首里古地図(しゅりこちず)」には、首里城の北東、久場川村(クバガームラ)(現首里久場川町(くばがわちょう))の東端に「行脚屋敷(アンニャヤシチ)」とあり、1945年(昭和20)の沖縄戦に至るまで、ニンブチャーの頭(かしら)(勢頭(シードゥ))一族が居住していたという。
ニンブチャーは、正月やお盆、また、法事がある家々を回って、祝い歌や念仏歌を唱え、時にはフトゥキ(仏)と称する人形を携え、人形芝居を演じる門付(かどつ)け芸を行った。葬儀の時には、ニンブチャーが呼ばれ、朝から鉦鼓(しょうこ)を打ち、葬列に加わって、墓前で念仏歌を唱えた。葬儀に僧侶を頼めない時は、ニンブチャーが代わりを務めたという。
ニンブチャーが唱える念仏歌や、チョンダラーの芸は、七月エイサーや組踊・歌劇などに取り入れられ、琉球・沖縄の芸能の発展に大きく寄与した。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 行脚村跡 汀良の信号を200メートルほど上がったローソン前の交差点に淋しく碑が立っています。往時をしのばせるものは何もありません。


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