安谷川御嶽(あだにがーうたき)





安谷川御嶽は、那覇市首里当蔵(とうのくら)町にあります。琉球王府が編纂した18世紀の地誌「琉球国由来記」には、高級女神官の一人である首里大阿母志良礼(しゅいうふあむしられ)が管轄していたと記されている由緒ある御嶽です。拝殿の役目をするアーチ門は、境内を内と外に分けていて、内側には神聖な岩と木を中心とした石囲いがあります。その背後の奥に回ると洞穴があります。石の香炉があるアーチ門の外側は石畳の庭になっていて、その左右には石碑があります。ウタキ前の舗装された坂道「安谷川坂」は、首里城から浦添に続く西海道(さいかいどう)ルートの一部です(HP「安谷川嶽」などより)。

下記の由緒書きには、1814年に村の有志の勧進により大修理を加え、それを機に当時のお金で青銅二千びき(10石相当)の基金をつくり、以後、その利息を維持管理に充てたと記されています。





内庭の石囲い



ウタキの裏手に回ると洞穴がありました。階段を下りると、まるで鍾乳洞のようでした。

由緒書き 由緒書き

安谷川嶽の由緒書き(左)と内庭の石積みを裏から撮影したもの


上記と一部、重複しますが、由緒書きには次のように記されています(字の間違い以外は原文のまま)。
安谷川嶽 1977(昭和52)年6月27日
那覇市指定有形民族文化財
この御嶽は、一般に「アダニガーウタキ」と呼ばれ、「琉球国由来記」(1713年)によると、首里大阿母志良礼(シュリノオオアムシラレ…王府時代の高級女神官の一人)の司る御嶽の一つとなっていますが、神名は記されていません。宝珠をのせたアーチ門が拝殿の役目をし、左右に連なる石垣によって境内を内と外に分けています。内側には神聖な岩と木を中心にした石囲いがあり、その背後にまわると洞穴がある。アーチ門の前には石の香炉があり、外側の庭は石畳になっており、左右に石碑があります。右側の碑文には1814年に村の有志の勧進により大修理を加えられ、それを機に当時の村にとっての大金「青銅二千びき」の基金をつくり、その利息を維持管理に充てることにしたと記しています。また、左側の石碑は、戦後修理した時に建てられたもので、御嶽の名前が記してあります。


地図をご覧になる方はコチラから ⇒安谷川御嶽 首里当蔵保育園の北隣です。専用駐車場はありません。また、朝の7時から9時までは歩行者と自転車の専用道路になりますので、一般車の通行は出来ません。

 

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