辺戸岬(へどみさき)


辺戸岳頂上から本島最北端の辺戸岬


沖縄本島の最北端の岬。北には鹿児島県の与論島や沖永良部島。西には伊是名島と伊平屋島も望むことができます。本土復帰を願って狼煙(のろし)を上げた歴史もあるそうで、岬の突端には昭和47年5月15日、アメリカ統治下にあった沖縄が、日本に返還されて沖縄県になったのを記念して建てられた祖国復帰闘争の碑があります(下の写真:右、碑の建立は昭和51年4月)。この地に建てられたのは、本土に一番近いところだからだそうです。「記念」して建てられたと書きましたが、碑文を読むと本土復帰の喜びの記念碑ではないようです。詳しくは、内容下記をお読みください。

祖国復帰闘争の碑には、次のとおり記されています。
『全国のそして全世界の友人へ贈る』
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。
権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。
打ち寄せる波濤の響きを聞け。
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。
“鉄の暴風”やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は
米軍占領に引き続き、一九五二年四月二八日
サンフランシスコ「平和」条約第三条により、
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。
米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。
われわれの闘いは蟷螂の斧に擬された。
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、
全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。
見よ、平和にたたずまう宜名真(ぎなま)の里から、
二七度線を断つ小舟は船出し、
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。
今踏まえている土こそ、
辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。
一九七二年五月一五日、沖縄の祖国復帰は実現した。
しかし県民の平和への願いは叶えられず、
日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
しかるが故にこの碑は、
喜びを表明するためにあるのでもなく、
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。
闘いをふり返り、大衆が信じ合い、
自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、
人類が永遠に生存し、
生きとし生けるものが自然の攝理の下に
生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。

この碑文は、復帰協第3代会長の桃原用行(とうばるようこう=全電通沖縄県支部初代委員長)氏の文を、復帰協第6代事務局長の仲宗根悟氏が揮毫したものです。



岬の突端から北の海を望む

祖国復帰闘争の碑


下の写真は、国頭村の道の駅「ゆいゆい国頭」の猪ぶたそば。別々の日に行きましたが、左は道の駅食堂の "猪ぶたそば"。右は南隣りの食堂「わ〜家」の "いの豚野菜そば"。「わ〜家」のそばは、山の頂上でおにぎりを2個食べてから行ったので、完食出来ませんでした。次回は、空腹で行かねば…。





地図をご覧になる方はコチラから ⇒辺戸岬 広い駐車場があります。辺戸岬の地図にはパーラーと表示された飲食店が表示されています。同行した人の話では、そばが美味しかったそうですが、2年前に行ったときも、最近行ったときも閉まっていました。奥経由で戻る方は、「アダ・ガーデンホテル」か「くいなパークゴルフ場」まで、食事するところがありませんのでご注意ください。


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