「ざわわ」の碑





昭和42年、森山良子さんが歌った「さとうきび畑(寺島尚彦 注1作詞・作曲)」が大ヒットしました。私も学生時代には、十二弦ギターを抱えて口ずさんだこともありました。

今年(平成29年)は、この歌のレコードが発売されて50年目の年になります。そんなに経ったとは思えない気がします。この歌は1番から11番まであり、通して歌うと10分以上かかります。Wikipediaによると、風の音を表現したという「ざわわ」は、66回、繰り返されます。歌の主人公はひとりの少女です。少女は沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知りません。やがて大きくなると、ひとりで父親を探しにさとうきび畑に行きます。父はなぜ戦い、なぜ殺されたのか、何を恐れて自決したのか。通り抜ける風の音を聞きながら静かに悲しみを訴えます。

この歌の碑が、読谷村高志保にあります。平成24年4月1日に全国各地からの寄付、歌碑基金チャリティーコンサート等を通して集まった2,150万円の基金をもとに建立されました。歌碑のある広場の入口に、「ざわわ憲章」が掲げてあります。歌碑の横にあるボタンを押すとオルゴールでメロディーが流れるようになっています。歌碑の大きさは高さ1.8メートル、幅3.6メートルあります。

ざわわ憲章

私たちは、平和を希求する全国の皆さんの熱い志で建立した「さとうきび畑」歌碑の継承を、次の憲章で表明します。

♪ 歌碑は、いくさのない世界をめざすために活用します。
♪ 歌碑は、こどもたちの平和な心を育むために活用します。
♪ 歌碑は、戦没者の無念の思いを後世に伝えるために活用します。
♪ 歌碑は、沖縄に点在する平和学習の場の一つとして活用します。
♪ 歌碑は、さとうきび畑の自然景観を守るために活用します。
♪ 歌碑は、作者が詩と曲に込めた平和の精神を歌い継ぐために活用します。
2012年 4月1日 さとうきび畑歌碑建立実行委員会

この歌碑建立実行委員会の事務局長を務めた山内順盛さん(元読谷村職員)は、今でも歌碑の点検・清掃をしておられるそうです。ご本人は灯台守ならぬ歌碑守と称しておられるとか。

森山良子さんは、この曲を歌った代表的な歌手ですが、森山さんの他にも、ちあきなおみ、岡村喬生、新垣勉、鮫島有美子、寺島夕紗子(寺島さんの娘)、錦織健、上条恒彦、夏川りみ、上間綾乃(以上、敬称略)など、多くの歌手に歌い継がれています。この曲を作った寺島さん(故人)は、34歳で初めて沖縄を訪れ、激戦の地である本島南部の糸満市摩文仁(まぶに)の丘を訪れたときにこの曲を着想されたそうです。「サトウキビ畑に立ったとき、戦没者たちの怒号と嗚咽を私は確かに聴いた」そうです。 しかし、歌碑は摩文仁の丘ではなく、本島中部の読谷村に立っています。何故だろうと思いましたが、あまり深く考えないことにします。森山良子さんの「さとうきび畑」をお聞きになりたい方は、⇒ コチラから





(注1)寺島尚彦…(昭和5年7月4日〜平成16年3月23日)、日本の作詞家、作曲家。洗足学園音楽大学教授。娘はソプラノ歌手の寺島夕紗子さん。さとうきび畑は、田代美代子さんのために作りました。NHKみんなのうたで最初に歌ったのは、ちあきなおみさんで、その後、森山良子さんが歌いました(Wikipediaより)。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ さとうきび畑の歌碑 幹線道路に面しておりませんので、たいへん分かりにくい所にあります。手書きの案内標識を目印にしてください。住所は、 読谷村字高志保495-5、マップコードは、33 852 608*08です。


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