浦添間切番所跡(うらそえまぎりばんしょあと)


昔の役場


案内碑


現地の案内板には、次のとおり記されています。
浦添間切番所跡
浦添郵便局北側からこの辺りにかけては、かつて浦添間切の番所がありました。「間切」とは現在の市町村に相当する琉球王国時代の行政区画のことで、「番所」は今日の役所にあたります。番所には地頭代(ジトゥディー)をはじめとする地方役人が置かれ、首里王府の命を受け、間切内の行政を担いました。また、国王の普天間宮参詣の際には休憩所に利用されました。
1881年(明治14)に訪れた上杉茂憲県令(今でいう県知事)の記録によると、番所は門を南西に構え、老松が枝を広げ、フクギ、ソテツが植え連ねられているとあり、植栽ゆき届いた美しい施設であったことがわかります。
番所は、1897年(明治30)に間切役場、1908年(明治14)には村役場と改められ、沖縄戦で損壊するまで浦添の行政の中心施設でした。
番所は、1897年(明治30)に間切役場、1908年(明治14)には村役場と改められ、沖縄戦で損壊するまで浦添の行政の中心施設でした 。なお、1882年(明治15)には浦添小学校が敷地内に開校し、浦添の学校発祥の地としても重要な場所です。
上に記載のとおり、「間切」とは、琉球王国時代の行政区画のことです。今でいえば、市町村の行政単位です。一方、「番所」は役所のことです。ということは、「間切番所」は、村役場を意味します。浦添に間切番所がおかれていたのは、浦添郵便局の北側にあたるところです。つまり、現在の浦添中学校の前に役場があったということが分かります。

ネット検索をしていたら、面白い資料が出てきました。浦添村を市に昇格するという告示です。村を市にすることが「処分」だなんて、役所は昔からお偉い存在だったのですね。

告示第169号
浦添村を浦添市とする処分について
 市町村自治法第5条第3項の規定により浦添村を浦添市とする。
 この処分は、1970年7月1日からその効力を生ずるものとする。
1970年6月24日
行政主席  屋  良  朝  苗


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 浦添間切番所跡 碑のあるところは県道に面していますので、専用の駐車場はありません。少しだけ東に進むと、斜め左に入る小さな道路があります。中学校の正門前にある「龍福寺跡」の石碑付近に邪魔にならないように止めましょう。

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