浦添御殿(うどぅん)の墓





第二尚氏14代国王「尚穆(しょうぼく)」の第二子「尚図(しょうと)」またの名を「浦添朝央(うらそえちょうおう)」を祖とする浦添家の墓です。墓は18世紀頃の造営と推定され、近世の亀甲墓や石積み技術を知ることのできる 貴重な石造建築物で、 東西20メートル、 南北27メートルの広さがあり、 大きなヒンプンや相方積みの石垣など、浦添市内でも最大級の亀甲墓です。周辺を囲む高い石垣や墓を構成する大きな岩板など、その時代の権勢の高さを物語ります(HP「浦添ナビ」、ROKラジオ沖縄より)。つまり、王家の分家のお墓です。この墓は、平成19年、墓を所有する浦添家直系の子孫の方から浦添市に寄贈されたもので、御殿(うどぅん)とは、王子や按司(あじ:首長)の家柄やその屋敷のことをいいます。現地の説明板には、次のように記されています(原文のまま)。

浦添御殿の墓
浦添市指定文化財 史跡
浦添御殿の墓は、第二尚氏14代国王尚穆(しょうぼく)王(在位1752〜1794)の次男、浦添王子朝央(ちょうおう)を元祖とする浦添家の墓です。浦添家は代々浦添を領地とし、近世琉球を代表する政治家や文化人を輩出した由緒ある家系でした。
墓の造成は18世紀とされ、浦添市内でも最大級の亀甲墓です。広い庭や大きなヒンプン、巧みに組み合わされた石積み、正面に使われた大きな石などは、浦添家の栄華を今に伝えるものです。かつて墓の近くには、墓を管理する御墓番の屋敷があり、昭和20年の航空写真でも確認できます。
平成20年3月3日指定 浦添市教育委員会

ヒンプン 駐車場
御殿の前には立派なヒンプン(注1) 御殿へは、ここから上がってゆく

(注1)ヒンプンとは、門と母屋との間に設けられる塀。漢字で書くと「屏風(ヒンプン)」。役割は@魔除け…魔物は曲がるのが苦手なので、ヒンプンがあると家に入ってこない。A外からの目隠しの役目。B暴風から家を守る。C防火の役割など。中国の建築様式が伝わったといわれている(HP「沖縄の民家はここが違う」より)。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒浦添御殿の墓  本通りから中に入っていますので、分かりにくいところです。
戦禍で屋根や石積みが崩れていたのを、寄贈後に市が修復したそうです。石積みの美しさが印象的でした。グーグルマップで「浦添御殿墓」を検索すると「浦添ようどれ」の場所を表示します。この地図でご覧ください。縮尺は調整してください。


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