渡具知泊城(とぐちとまりぐすく)跡(読谷村)


渡具知泊城

渡具知(とぐち)泊グスクは、読谷(よみたん)村と嘉手納(かでな)町の境を流れる比謝(ひじゃ)川河畔にあります。浦添の王・英祖(えいそ)王のひ孫と伝えられる三代目今帰仁(なきじん)グスク城主が、家臣・本部大主の謀反に遭って滅ぼされたときに、嫡子千代松金 (後の丘春:おかはる)が潮平大主(しおひら うふぬし)に導かれて家臣とともに落ち延び、仇討の機会を待ったのが、この地だといわれています。

海岸に面した独立した石灰岩上に築かれたグスクであり、岩山の下部にトンネルのように えぐられた岩穴がありますが、その他、石垣などの遺構は残されておりません。現在、渡具知泊グスクは、国の史跡などには指定されておりませんが、「泊城公園」として風光明媚な場所でもあり、東シナ海の荒波に浸食された琉球石灰岩が、凹凸の激しい複雑な景観を見せています。

なお、うるま市の宮城島にある泊グスクとの区別するため渡具知泊城と呼ばれています。

また、この場所は第二次世界大戦のとき、アメリカ軍が最初に沖縄へ上陸した場所でもあります。



グスクの崖下に、由来が記された碑が建てられています 。


渡具知泊城

渡具知泊城  原文のままだと、読みにくいため、サイト管理人が句読点を付け加えました。
今から六〇〇年前、三山戦国時代中、今帰仁城主按司は臣下本部大王の謀反にあって城奪れる。一時世替りの騒動の中にあったが、按司の嗣子千代松金は名お丘春と改め、読谷山間切谷間切砂辺村へ落ち延び、読谷山大木徳武佐で難を遁る。丘春仇討の幾会を待ち、十八年後に旧臣を集め本部大王お討って本懐おとげ城奪返す。然るに次の代後北山の怕尼芝に攻められ、中北山は遂に亡んだのである。 時の若按司は、本部具志堅で死す。隠居の身仲宗根按司丘春は戦に追れ、住なれた読谷山間切に逆戻り、当地にて城奪返しの態勢を整たが力及ず、遂に当地にて終身す。 按司丘春そして臣下の骨玉は、東の方鷹の目洞窟に葬れる。以後此の一帯を渡具知泊城と称す。
一九七九年十二月二十二日

下の写真は、海に面した泊城公園


泊城公園


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