澤岻(たくし)の「おもろの碑」


澤岻おもろの碑


琉球王府が編集した『おもろさうし』という古い本があります。そこには、祭りの時に神にささげた謡(おもろ)が集められています。土地や領主をたたえ、豊かな穣りを願い、航海の安全を祈り、また、戦争のこともうたっています。全部で1554首あるおもろの中には浦添にかかわるおもろが67首あります。浦添市では、この中から何首か選んで現代の書家に書いてもらい、石に刻んでおもろにゆかりのある土地に建てました。

澤岻のおもろの碑は、めじろ公園にあります。

沢岻太郎名付け
  国 郡 浦のすべて
  鳴響まして 招待
  良かる太郎名付け
 
 沢岻の太郎名付けの名声が、国・郡・村々にまで鳴り轟き、多くの人々に慕われている様子を歌ったものだといいます。琉球の歌謡集「おもろさうし」の第15巻-8に収められていますが、他にも第15巻-6、第15巻-7に沢岻太郎を賛美した歌が収録されています。

沢岻太郎(たくしたら)とは、沢岻村の領主で、中城按司(なかぐすくあじ)護佐丸(ごさまる)の孫にあたる人物だといいます。後の沢岻盛里(たくしせいり)のことで、正徳年間(中国、明の元号で、1506〜1521年)には、琉球王府の宰相職、三司官に任じられています。今でいう内閣総理大臣に相当するような高官です。嘉靖元年(中国、明の元号で、1522年)に中国にわたり、王を乗せる鳳凰轎(ほうおうきょう:籠のことです)と、首里城崖下にある湧水の吐水龍頭(とすいりゅうとう)を土産に持ち帰ってきたことで名が知られています。薩摩が琉球王国を侵攻する100年も前の琉球のよき時代の話です。

ここまで書くと詳しい方はお気づきでしょう。そうです。澤岻太郎とは、澤岻親方(うぇーかた)のことです。
澤岻親方について詳しくは ⇒ コチラから。

歌の意味

おもろの碑 めじろ公園


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 澤岻(たくし)おもろの碑 うちなぁそば青雲の信号から北に上ります。住宅街ですので、1本間違えると着けません。めじろ公園を目印に。


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