澤岻樋川(たくしひーじゃー)





澤岻は「たくし」と読みます。読めなかったので、マップル道路地図の町名検索で調べました。この名前の方も880人おられるそうです(HP名字由来ネットより)。起源はよく分かっていませんが、一説には「たくし」という地名に漢字を当てはめたとき、「たく」には「澤」の字を「し」には「山+氏」で「し」と読ませたということが、MIXIのみんなの日記に書かれていました。しかし、「岻」は、私のOSでは、ヨミでは変換できませんでしたので、手書き入力しました。

澤岻樋川は、1000年以上前、沢岻集落の発祥のころから重宝されてきた泉です。水は、見たところ とてもキレイです。正月の朝は国王と国民の健康と長寿、国の繁栄と五穀豊穣を祈願し、「若水」を献上した水としても知られ、行事が復活していることから、お正月の朝は今でも若水を汲みに来る人が訪れます。

崖下の岩とクチャ(沖縄の方言で「泥」のこと)の間から水が湧き、自然の洞窟の中に水が溜まり、大雨でも濁りがありません。水量が豊富で水質もよく、ウナギやモクズガニの目撃情報もあります。日常的に散水や魚を飼育する水として近くの方が利用しています。しかし、樋川のあるこの場所は、高台にあります。 首里城の龍樋(りゅうひ)も高台にあるのに湧き水が出ていましたが、こんな高いところに水が湧くなんて不思議な気がします。地層の関係でしょうか。

『首里城お水取り行事』が、平成10年に120年ぶりに復活しました。現在は、毎年12月最後の日曜日の午後行われており、当日は、だれでも見学ができます。琉球王府時代の正装で古式にのっとり厳粛に行われ、澤岻樋川ではお神酒のふるまいもあります(以上、HP「浦添ナビ」などより)。



碑 樋川


現地の碑には、次のように記されています(原文のまま)。

文化財 澤岻樋川
当泉は1000年余の歴史を有すると言われ、澤岻部落発祥の頃から地域住民に重宝され、子供が生まれた時には、産水を授かった由緒ある泉であります。
琉球王朝の頃は、風水の方位が「亥の吉方」で水質も良いので、正月の朝、国王の長寿・繁栄を祈願し、「若水」を献上された名泉として広く知られております。
当時、泉の前は石畳が敷かれ、浦添・中城・読谷方面より那覇、泊港へ唐船を迎える商いの道として利用され、人々は泉のほとりで一休みし、喉をうるおし語り合った場所でもあります。
1950年代までは、水量も豊富で近隣では、真赤な夕陽を受けた金色の稲穂が雄大な田園風景をかもし出しておりました。
澤岻樋川やかりーな泉(たくしひーじゃーやかりーないじゅん)
首里御城に若水ゆうさぎてぃ(すいうぐすくにわかみじゅうさぎてぃ)
千年万代栄えうにげ(すにんまんでぇーさけぇーうにげ)
ひろし 一九九九年吉日修復
意味は、沢岻の湧き水は縁起のいい泉ですよ
    首里のお城に若水を捧げて
    千年も万代も栄えありますように(意味は、いのうえちずさんのブログより)
この琉歌を読んだのが"ひろしさん"のようですが、誰なのかは分かりません。
《追記》その後、調べたら、ひろしさんは、この樋水を管理する玉城弘さんという方でした。「浦添の湧き水」という小冊子に、玉城さんが、おばあさんに聞いた話が掲載されていました。「首里城お水取り行事のときに汲んだ澤岻樋水の水は、巫女が白い馬に乗って城まで届けた。白い馬は、その時にだけしか使わなかった。この樋水の水は神聖な水として特別に扱ったていたのでしょう」

地図をご覧になる方はコチラから ⇒澤岻樋川 地図で "たくし屋" と表示してるところがエコマックス21ビルで、このビルの地下部分に当たるところに樋川があります。車はこの建物の駐車場に止めることができます。
ここは昭和薬大付属高校の正面に当たります。ナビで行くときは、
「浦添市沢岻1丁目46-5」をセット。
あるいは、HPで「くいものBAR たくし屋」をご検索ください。


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