伊祖の高御墓(たかうはか)







現地の由緒書きには、次のとおり記されています。
県指定有形文化財(建造物)伊祖(いそ)の高御墓(たかうはか)  昭和47年2月25日指定
伊祖の高御墓は、伊祖部落の北東をほぼ東西に延びる浦添丘陵の石灰岩の中腹北側斜面にある。俗に「タカウファカ」と呼ばれ、英祖王(在位1260〜99)の父祖、恵祖世主(いそゆぬぬし)の墓として知られている。墓は岩の中腹にある洞穴を利用し、その前面を相方積(あいかたづ)み(亀甲乱れ積みともいう)で積み重ねて塞(ふさ)いだ崖葬(がいそう)墓である。墓口が広く、歴史的に古い形式に属するもので、沖縄における墓の変遷を知る上で極めて貴重な墓である。墓内には石厨子(いしずし)一基と甕棺(かめかん)2基が安置されている。なお、近くには浦添貝塚(うらそえかいづか)があり、貝塚期には岩陰住居(がいいんじゅうきょ)として利用されたと考えられている。昭和47年、国道330号(バイパス)建設工事によって存亡の危機にさらされたが、県民の保存運動、関係者の努力によって浦添貝塚とともに保存された。
昭和61年3月25日 沖縄県教育委員会 浦添市教育委員会

存亡の危機というのは、当初、国道330号線と県道153号線を立体交差させる予定だったのですが、建設予定地で『伊祖の高御墓』と『浦添貝塚』が発見され、住民の保存運動によりトンネルを建設し、両史跡は保存されることになったそうです。高いところにあるので高御墓と呼ばれています。この奥にも拝所のような遺跡が続いています(写真:右)。石積みのない崖葬墓かもしれませんが、建材用のブロックが数個積んであるので、貴重な史跡のように見えません。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒浦添大公園管理事務所 高御墓のある浦添大公園には駐車場がたくさんあります。はじめに展望広場にある駐車場から高御墓を探しましたが場所が分かりませんでした。このため、遊び広場から探し直したところ、木の階段が目に入り、すぐ分かりました。管理事務所のある前の駐車場に止めた方が分かりやすいと思います。ただし、国道330号線と県道、市道は、ほとんど立体交差なので、目の前にあっても行けないのでご注意を。

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