テーマは「生と死」「苦悩と救済」「戦争と人間」。
丸木位里・俊夫妻《注1》が描いた「沖縄戦の図」を沖縄の地に置きたいと、館長の佐喜眞道夫が米軍普天間基地の返還地に1994年に開館した私的美術館です。 屋上からは海や普天間基地の一角を望むことができます 。
沖縄戦の組織的戦闘が終結した1945年6月23日、慰霊の日にちなみ、6段と23段でつくられた米軍普天間基地を望む屋上の階段には、慰霊の日の夕陽が窓に差し込み階段と一直線になります。 屋上のみの見学はできません。
なお、常設展は撮影禁止、また、パンフなどからの写真転用も禁止ですので、作品のご紹介は控えました。
2024年9月現在、大人900 (810)円 大学生・シニア (70歳以上)800 (720)円、中高700 (630)円 小人300 (270)円、
( )内は20名以上の団体料金、火曜日、お盆、年末年始休館
《注1》丸木 位里 (まるき・いり 1901〜1995)
丸木位里は、1901年6月20日に広島の太田川上流の船宿兼農家に生まれた。戦前には前衛的な美術団体である歴程美術協会や美術文化協会に加わり、抽象やシュルレアリスム(超現実主義)を取り入れた独自の水墨画を発表して高い評価を受けた。1941年に油彩画家の赤松俊子(のちの丸木 俊)と結婚。1945年に広島に原爆が落とされた時には、数日後にかけつけ、その様子を目撃した。やがて夫婦共同制作で《原爆の図》の制作に取り組み、30年以上の歳月をかけて15部の連作を完成。その一方で風景を中心としたスケールの大きな水墨画を数多く残している。1995年10月19日没、享年94歳。
丸木 俊 (まるき・とし 1912〜2000)
丸木俊(赤松俊子)は、1912年2月11日に北海道秩父別の善性寺に生まれた。女子美術専門学校(現・女子美術大学)で油絵を学び、その後、モスクワ、ミクロネシアに滞在。 油絵やスケッチを多数描き、二科展に入選した。1941年に水墨画家の丸木位里と結婚。戦後は《原爆の図》をはじめ《南京大虐殺の図》、《アウシュビッツの図》、《水俣の図》、《沖縄戦の図》など 社会的主題の夫婦共同制作を発表している。また、すぐれた絵本作家としても知られ、『ひろしまのピカ』、『つつじのむすめ』などの絵本は今も多くの人に読み継がれている。2000年1月13日没、享年87歳。
以上、佐喜眞美術館、丸木美術館HPより
地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 佐喜眞美術館 那覇空港から直接来る場合、または、北部から南下された方は、高速道路の北中城ICで下りる。道迷いしないよう、あらかじめナビを沖縄県宜野湾市上原358にセットする。沖縄海邦銀行普天間支店のある「上原」交差点を右折し、道なりに進んで、200メートル先にある美術館の看板を右折する。普天間基地のフェンスに沿って駐車する。高速道を西原ICで下りた場合は、国道330号線を北上し「上原」交差点にある沖縄海邦銀行普天間支店を左折する。
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