龍福寺跡(りゅうふくじあと)


龍福寺跡案内板


龍福寺はかつて浦添市仲間2丁目に位置した臨済宗寺院です。山号は極楽山のち補陀落山と称しました。龍福寺の前身は極楽寺という寺院で、この寺院は琉球における最初の寺院としても知られています。一度荒廃しましたが、15世紀に芥隠承琥(かいいんしょうこ:室町時代の日本の禅僧で、琉球王国に初めて臨済宗を伝えた)を開山として復興しました。しかし、明治時代に廃寺となり、現在は浦添市立浦添中学校のグラウンドとなっています。

現地の案内板には、次の次の通り記されています。
「龍福寺跡(りゅうふくじあと)…浦添中学校(うらそえちゅうがっこう)グラウンド西側には、かつて龍福寺という首里王府の官寺(かんじ)があり、第一尚氏以前の歴代国王が祀られていました。『琉球国由来記(りゅうきゅうこくゆらいき)』(1713年)などによると、龍福寺はその昔は極楽寺(ごくらくじ)と呼ばれ、英祖王(えいそおう)の時に浦添グスクの『西』に建てられました。しかし、往来に不便で、年月がたち荒れ廃れていたため、『前谷』へ移(うつ)されました。その後(のち)、火災(かさい)にあい、この場所に移され、龍福寺に改名されました。万歴(ばんれき)年間の兵火(1609年の薩摩侵入の際に焼き払われ、のちに尚寧王(しょうねいおう)によって再建されました。なお、『琉球藩雑記(はんざっき)』(1873年)には、『境内地五百坪余』とあり、龍福寺の敷地面積は約1650m2であったことがわかります。その後の龍福寺は、大正初期にに兼城村(かねぐすくそん、現糸満市)座波(ざは)へ移転し、大正末には美里村(みさとそん、現沖縄市)泡瀬(あわせ)に移転しました。

龍福寺跡


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 龍福寺跡 中学校の正門脇に石碑が立っています。駐車場はありませんので、生徒の通行や車の通行に支障のない場所に駐車しましょう。

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