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野嵩(のだけ) スディバナビラ石畳道(宜野湾市)



野嵩石畳道


《NEW》
「野嵩スディバナビラ石畳道」が2025年6月、沖縄県の史跡に指定されました。
スディバナビラという名称は1458年の護佐丸・阿麻和利の乱で敗れた護佐丸の妻子がこの道を通って逃げる際に追手の放った矢が妻の袖を引き裂いたことから、「袖離れ坂(スディバナビラ)」とも呼ばれるようになったとされています。
東西に伸びる石畳の西側は土砂に埋もれていましたが宜野湾市の調査で残存していることがわかり、当時の土木技術を解明する非常に重要な遺跡だとして、このほど史跡に指定されたものです。
県の史跡は、2024年首里城地下にある第32軍司令部壕が指定されたのに続き57件目となります。


野嵩(のだけ)石畳道は、琉球王朝の頃、首里と各間切(まぎり)を結ぶ首里王府の公道として整備された「宿道(しゅくみち)」の一部です。間切は現在の市町村で番所は役場に該当し、野嵩石畳道は宜野湾間切と中城間切を結ぶ宿道の途中にあります。

石畳築造の年代は不明ですが、宿道としての整備は、少なくとも18世紀後半と考えられています。 平石を敷き詰めた道は、表面の凸凹がなくなって光沢を見せるほどの状態で、数多くの人々が踏みしめた往時の姿をしのばせています。平たんな道に石畳が敷かれることはなく、石は坂道の滑り止めに利用されたといわれています。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 野嵩石畳道  


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