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中村家住宅

中村家住宅

中村家住宅

上は中村家住宅全景(中村家住宅のHPより)
下は正面


中村家住宅は、沖縄戦の被災を免れた沖縄最古の住宅です。国指定重要文化財であり、室町時代の日本建築と中国建築模式をあわせもつ住宅です。

この住宅は、もともとは首里にあった士族の家でしたが、300年前に北中城へ移築されたといわれています。 俗に大城安里と称し、地頭代(役職名)を務めたこともある豪農の家柄です。もとは武家屋敷だった建物を、村のまとめ役だった農家が買い取りました。高床式倉庫など、農業のための建物が併設されているのは、そのためです。ほんの約30年前まで、中村家の末裔の方々が暮らしていたそうです。

屋敷は、南面する傾斜面を切り開き、母屋、アシャギ(離れ座敷)、高倉、前の家(畜舎)、豚小屋を配置しています。東、南、西を石垣で囲み、南側と東側は防風林として福木(フクギ)が植えられています。 建物の木材はすべてチャーギ(イヌマキ)、イーク(モッコク)を使い、屋根は本瓦葺き、漆喰塗りで、母屋の上に魔除けの獅子がある。建築当時、地方においては瓦葺きは禁制であったので竹茅葺(たけかやぶき)でした。

以下、中村家のHPから引用して、一部をご紹介します。

◎ヒンプン(顔隠し堀)
この堀は門の内外との仕切りで、外から直接母屋が見通せないようにした目隠しの役割をしています。中国の「屏風門・ビンフォンメン」が沖縄化したものです。(その昔、沖縄ではヒンプンを挟んで男性は右側から出入りし、女性は台所へ直通するためその左側を使用していたといいます)



中村家住宅

魔除けの役割もあるヒンプン

◎アシャギ(離れ座敷)
当時、近くの中城間切(現在の中城村と北中城村)の板書(役所)へ、首里王府の役人が地方巡視に来た際に、宿泊所として使用したようであります。

◎ウフヤ(母屋)
一番座(客間)、二番座(仏間)、三番座(居間)となっています。裏には各一間づつ裏座があり、寝室、産室として使用されました。三番座の前方にはナカメー(中前)と言う板間がついています。畳間は、全て六畳かそれ以下で、当時の農民にはその大きさしか許されていなかったといいます。

◎高倉(籾蔵/もみぐら)
この高倉は沖縄在来の形式である丸柱ではなく、住居と同じ角柱を用い、壁、床とも板貼りであるのが特徴となっています。屋根裏の部分に施された傾斜を、別名「ネズミ返し」といい、ネズミが穀倉に荘に入れないように工夫されたものです。

◎トゥングワ(台所)
トゥングワには火の神(ヒヌカン)を祀り、朔日(ついたち)、十五日に拝むようになっていました。この部分の屋根が非常に低いのは、屋根裏部分を物置(主に薪や食料)として使用していた為です。上座敷と台所の間にある十二畳の板間は、くつろぎの部屋で、農作物の整理などに利用されました。

◎メーヌヤー(家畜小屋兼納屋)
中二階の棟で、一階は腰石壁で畜舎、二階は黒糖製造用の薪置場。畜舎の前の柱には、牛や山羊をつないでおいても、柱が土台からはずれないように工夫がこらされています。石と柱が凹凸に噛み合わされており、簡単に抜けないようになっています。

◎フール(豚小屋)
フールは、沖縄では豚小屋を意味しますが、家人のトイレを兼ねていました。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 中村家住宅 行き方は、高速道路経由なら「北中城IC」で下車、「第一安谷屋交差点」で右折、「安谷屋交差点」を右折。大きな表示看板を右折する。ナビ・スマホ検索されるときは「沖縄県中頭(なかがみ)郡北中城村(きたなかぐすくそん)大城106」。駐車料金は無料でしたが、入場料金は500円でした。来た道を直進すれば中城グスクがあります。


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