仲間樋川(なかまひーじゃー)





家庭に井戸が無かった時代、仲間集落の皆さんは、水を汲むため ここを利用したのでしょう。今まで見た樋川の中でも最大級で、水量も多く立派な樋川でした。浦添市の中では最大ではないでしょうか。平成14年3月に浦添市の文化財に指定されました。

現地の由緒書きには、次のとおり記されています(原文のまま)。
浦添市指定文化財 史跡 仲間樋川(仲間の拝所群)
仲間樋川は市内でも最も大きな井泉(せいせん:井戸、井戸の水の意)のひとつで、仲間集落の村ガー(共同井戸)として大切にされてきました。
「樋川(フィージャー)」とは湧き出る水を樋で導き、水を容易に汲み取れるようにした井泉のことです。
仲間樋川の樋は大きな琉球石灰岩を削ってつくった大変立派なものです。1731年に首里王府が編纂した『琉球国旧記』には「中間泉(中間邑に在り樋川と俗に曰う)」の記述があり、その頃にはすでに樋が掛けられていたことがわかります。
昭和10年にはコンクリートを用いた近代的な改修が行われ、現在の姿となりました。昼夜湧き出る水は、貯水・飲用水の「水タンク」に溜められ、次に洗濯などをする「平場」を経て、最後は農具や農作物の水洗い、馬の水浴びなどをする「ウマアミシ(溜め池)」に溜まるように造られました。そして、溢れ出た水は苗代田へ注ぐようになっていました。大切な水を飲用水、選択用水、雑用水、灌漑用水の順に利用する工夫がみられます。
仲間樋川は沖縄戦でも大きな被害を受けず、戦後は抱負な水量で仲間の収容所に集められた数千人の生活水をまかないました。 その後、上水道が普及する昭和40年代まで水を利用するたくさんの人々で賑わいました。
井泉の清浄な水は人の体を育て、健康を保つ特別な霊力(セヂ)をもつと信じられ、人々の信仰対象にもなりました。その証として仲間樋川の樋の傍らには香炉が置かれ、地域の大切な拝所となっています。
現在も旧暦の五月・六月のウマチーや十二月の御願解きなどの年中行事の際に、自治会で村拝みがおこなわれています。また、各家庭に水道が普及する以前は、子どもが生まれたときには生水をもらい、正月には若水を汲んで家の火の神や仏壇に供えました。
仲間樋川は人々と水の関わりを知る上で大切な文化財です。





地図をご覧になる方はコチラから ⇒仲間集落ルート  浦添市商工産業課の「城下まちを歩く仲間集落ぶらりルート」のサイトです。このサイトの一番下に地図があります。地図を拡大してご覧下さい。

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