仲原遺跡(なかばるいせき:うるま市)

仲原遺跡

仲原遺跡


うるま市の海中道路の橋を超えてゆくと平安座島があり、続いて宮城島、そして一番先にあるのが伊計島です。伊計島はイチハナリとも呼ばれています。語源は島が一番離れているからイチハナリです。ご参考までに、平安座島はハナリと呼ばれ、宮城島はタカハナリです。「タカ」は「遠い」という意味で、宮城島は平安座島より遠く、高さも一番高く離れているからです。そのもっと離れた伊計島の中央あたりに沖縄県内では最大の竪穴式住居が発見されました。時代は、2,500年から3,200年位前だそうです。本土では縄文時代の後期です。沖縄とは文明の発展具合が異なりますが、竪穴式の住居が建てられ、土器が使用されて集落を形成しています(上から2枚目の写真は「うるま市」さんのHPからお借りしました)。

場所は 伊計島のほぼ中央、平地部分にあり、20軒ほどの縄文時代のムラの跡が仲原遺跡です。付近からは当時の生活を推察する手がかりとなる土器や石器なども出土しています。なかには、サメの歯で作ったアクセサリーもありました。現在は遺構の保護を目的として土を盛る整備がされた上で竪穴式住居が復元されています。 昭和61年(1986)に学術価値の高さから国指定史跡とされました。

住居跡の解説は次のとおりです。

竪穴住居址と復元
竪穴住居址は、建て替えられたものを含めて23棟発見されました。平面形は全てほぼ方形、大きいものは5×6m、小さいものは2×3mありました。住居址の軸、入口の向き、大きさ、作り、建物の新旧などから、大型の建物と、その周辺に小型の建物が数棟グループになっていたものと推定されます。建物の復元にあたって、入口は民俗事例や建物の造りから人が出入りできる程度の高さにして、竪穴をとりまく石積は低くなっています。また石積のすき間には赤土が埋めこまれています。柱や屋根組材や、古くからこの地域の民家で使われているヤラブをもちいました。柱や竹、カヤをしばるには、アダンの根を材料にした縄を使用しました。さらに屋根材には伊計島に自生したチガヤが使われています。

伊計島の先端に温泉ホテルがありますので、ここへは何回も行きましたが、見学者がいたことは一度もありませんでした。道路標識も整備されているのですが、沖縄観光される方の興味の対象ではないようです(一番下の写真は、現地の案内板をcopyしました)。


仲原遺跡

仲原遺跡


地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 仲原遺跡 伊計島に入って直線道路を進むと左側にブロック造りのトイレがあり、仲原遺跡左折の標示がある。四つ角から150メートくらい。


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