木綿原(もめんばる)遺跡跡(読谷村)


木綿原遺跡


Googlemapを見ていて本島中部の読谷村で見つけました。初めて聞く遺跡名でした。砂丘から人骨が発見されたという場所です。発掘が昭和52年といいますから、それほど古いものではありませんが、2千2〜3百年前というなら大和なら弥生時代後期ですが、沖縄では貝塚時代の遺跡です。

文化遺産オンラインによると、この遺跡は幅40メートル以上の砂丘上にあり、 東シナ海にのぞむ海岸線に並行し、 延長150メートルを越える大規模なものです。この墓域内の小範囲の発掘で箱式石棺墓7基などが発見されています。箱式石棺墓は、いずれもその上部を丸い石灰の岩塊や、板状のサンゴ石灰岩などで覆われていて、この集石群ををとりはずすと箱式石棺墓が姿を現わしたそうです。これらの箱式石棺墓は、沖縄では、はじめての発見であり、九州方面の弥生文化との交渉を具体的に示唆したものです。また、同時に招来されたと考えられる弥生式土器は、沖縄の先史文化の編年を弥生文化との関連についてより詳細に把握するための資料として重要であると述べておられます。

現地の案内板には次のとおり記されています(原文のまま)。
国指定史跡 木綿原遺跡
1978年11月15日指定
木綿原遺跡は沖縄貝塚時代の前期から後期にまたがる複合遺跡であり、その主体は2千2,3百年前の箱式石棺墓を含む後期の墓地となっている。
昭和52年の発掘調査によって沖縄初の箱式石棺墓の発見に成功し、長い間不明であった沖縄原始社会の墓制について貴重な資料を提供することになった。 調査の結果、7基の箱式石棺墓と17体の人骨が出土した。石棺墓の構造は、近くの海浜でとれるテーブルサンゴや石灰岩塊を素材にして長方形状に組んだ箱式石棺を下部構造にもち、その上には上部構造の石組がのっていた。各々の石棺には複数の遺骸が納められ、4基の石棺から13体の被葬者が確認された。棺内の遺骸は、ほとんど伸展葬による埋葬法がとられ、骨の上には摩滅したシャコガイ等が据え置かれており、当時の人びとの死者に対する精神生活の一端をかいま見ることができる。
この遺跡は箱式石棺墓という墓制の存在、およびゴホウラ製の貝輪や弥生前期の土器等が出土することなどから九州弥生文化との交流が想定され、沖縄先史文化の編年を本土の弥生文化との関連において把握しうる資料として重要である。
文部省・沖縄県・読谷村

下の写真:右は、第5号箱式石棺墓(1977年発掘:読谷村ミュージアム所蔵リストからお借りしました)



木綿原遺跡

木綿原ビーチのイノー

木綿原ビーチに広がるイノー(礁池:しょうち)。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 木綿原遺跡 国道58号線の水釜信号を左折。マックスバリューの次の道を左折して直進。「キッチンもめんばる」の手前一体が遺跡跡。「キッチンもめんばる」は、エッツこんなところに?と思うような中華料理の食堂でした。ランチと単品のシュウマイをつけて、デザートに沖縄ぜんざいを食してきました。


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