牧港(まちなと)漁港前の「おもろの碑」


おもろの碑


ここ浦添の地は、舜天(しゅんてん)・英祖(えいそ)・察度(さっと)の三王統が栄え、古琉球の政治・経済・文化の中心地でした。このことを物語るように、おもろでは、浦添を『うらおそい』(浦襲い)、『しまのおや』(島の親)、『あぢのすでおや国』(按司の生まれる御国)と讃えられています。また当時の浦添の範囲には、現在の宜野湾市と那覇市・西原町の一部が含まれ、北谷(ちゃたん)・読谷(よみたん)も親しい共同の地でした。おもろとは、1531年から1623年にかけて首里王府によって編纂された『おもろそうし』全22巻に収められた古い歌謡のことで、全部で1554首あります。この碑文は、1372年に明の太祖の紹諭を受けて、琉球史上初めて中国と進貢貿易をおこなった察度王の偉業を賛美したおもろといわれるものです。

「おもろ」とは神にささげる歌だと考えられています。 琉球王府は1531年から1623年にかけて「おもろ」を記録し、『おもろさうし』にまとめました。 昭和から平成にかけて、浦添に関わりのある「おもろの碑」をゆかりある土地に建てました。 この碑は、浦添市牧港(まちなと)漁港前の広場に建っています。

歌意は次のとおりです。
ジャナモイ(察度王)は、どのような立派な親が生んだ子か、人々がその美しさを讃え見たがるよ

察度王 が謝名(じゃな)の上原に登って、けあげた朝露さえも香ばしい尋常でない勇姿を頌(うた)っています。察度王(1321年〜1396年)は、浦添間切謝名村の奥間大親と天女との間に生まれたと伝えられています。そして、英祖王統最後の王西威(いりい)の後を継いで中山王となって王統を開き、在位は46年間(1350年?1395年)におよびました。中国・朝鮮との貿易を開始し、中国へ留学生を派遣して、琉球の経済・文化の発展に大きな業績を残しました。この頃、琉球人が到着する港は泉州港でした。よってこのおもろの碑を、中国泉州市と浦添市との友好都市締結を永く記念するために、進貢貿易ゆかりの牧港港に建立しました。

なお、原石の加工・刻字および輸送は、中国泉州市により寄贈されました。



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