クバサーヌ御嶽





浦添の仲間集落の発祥と地といわれる拝所があります。クバサーヌ御嶽(ウタキ)といわれています。クバサーとは、クバの木(注1)の下という意味だそうです。「琉球国由来記」(1713年)には「コバシタ嶽」と記されています。御嶽にまつられているのは村の遠い祖先で村人たちを守ってくれる神と信じられています。クバサーヌ御嶽は仲間集落発祥の地と伝えられています。旧暦正月の初拝みなど折々に集落の繁栄と安全を祈願する村拝みが行われています(史料「浦添の文化財」より)。

上記と一部、重複しますが、現地の由緒書きには、次のとおり記されています。
浦添市指定文化財  史跡 クバサーヌ御嶽(うたき)(仲間の拝所群)
クバサーヌ御嶽は、仲間集落の発祥の地と伝えられています。
近世の仲間村の拝所の一つで、『琉球国由来記』(1713)には「コバシタ嶽」と記されています。コバシタはクバの木の下という意味です。
この一帯はウガングヮーヤマとも呼ばれ、戦前は大木がうっそうと茂っていました。古老によると、クバサーヌ御嶽には石で積み封じた神墓があったそうです。また、裸世(はだかゆー)(注2)の時代には、クバの木の下で子供を出産したという言い伝えもあります。
旧暦正月の初拝(はちうがみ)、五月・六月の稲二祭(ウマチー)、十二月の御願解き(うがんぶとぅち)などの年中行事には、他の拝所とともに村拝みが行われます。
平成十四年三月一日指定
浦添市教育委員会

(注1)クバの木…ビロウの木ことを沖縄ではクバといいます。この木は沖縄では庭木・街路樹に用いられ、葉は扇や笠に利用し、若芽は食用にもなります(Wikipediaより)。
(注2)裸世(はだかゆー)…人々が裸で暮らしていた時代。沖縄では原始時代のことを総称して「裸世」と呼びます。戦後から日本に返還されるまでのアメリカ統治下にあった時代は「アメリカ世(ゆー)」。現在のことは「今世」(いまゆー)です。



石碑 案内文


地図をご覧になる方はコチラから ⇒仲間集落ルート  浦添市商工産業課の「城下まちを歩く仲間集落ぶらりルート」のサイトです。このサイトの一番下に地図があります。地図を拡大してご覧下さい。

  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ

Copyright © 2015 ハイホーの沖縄散歩 
logo