軽便鉄道線路跡

軽便鉄道線路跡

軽便鉄道線路跡


沖縄県浦添市大平(うらそえし おおひら)。県道251号、那覇宜野湾(ぎのわん)線というより、地元の方には通称「パイプライン通り」と言った方が分かりやすいかもしれません。その大平養護学校バス停の歩道の内側にあるのが「油線・軍用地協会杭」と「軽便鉄道線路跡」です。

このパイプライン通りには、1992(大正11年)から1945(昭和20年)まで軽便鉄道が走っていました。軽便鉄道というのは、正式には、沖縄県営鉄道、または沖縄県鉄道といいますが、沖縄では「ケービン」の愛称で親しまれていました。本土の列車より企画が小さく、 レール幅は、国鉄は1067ミリに対して軽便鉄道は762ミリでした。

沖縄に鉄道が導入されたのは1914(大正3年)のことです。那覇〜与那原線が運行を開始し、浦添では1922(同11年)那覇〜嘉手納線の運行に伴い、軽便鉄道が走るようになりました。 しかし、1944(同19年)の10・10空襲で那覇駅が焼失し、さらに戦争の激化で、軽便は1945(同20年)3月、完全に運行が停止し、その後の米軍上陸によって鉄道施設は壊滅してしまいました。さらに戦後は、朝鮮戦争の勃発による鉄不足でレールが取り集められたうえ、道路や米軍基地の建設などで鉄道敷地自体が分断されましたので、軽便鉄道再興の可能性は消滅して現在に至っております。

ここに展示されている線路は、「1991(平成3年)10月の街路2-3-3号城間線改良工事現場から出土したレールを枕木に乗せて復元したものです。

なお、パイプラインの名称の由来は、米軍占領下におかれた沖縄に、次々と軍用施設が建設されるようになり、1952(昭和27年)に、那覇軍港から北谷桑江ブースターステーション(軍施設)に至る送油管が布設され、この油送管を、一般的に「パイプライン」と呼んでいたものが通りの名称になりました。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒軽便鉄道線路跡 バス停の歩道にありますので車は止められません。


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