浦添貝塚


浦添貝塚


国道330号線の伊祖トンネル(注1)の真上にある貝塚です。

現地の由緒書きには、次のとおり記されています。
「県指定史跡 浦添貝塚」  昭和47年2月25日指定
この貝塚は今から3千余年前に住んでいた人々が残したものです。貝塚からは石斧(いしおの)、土器(どき)、貝の飾りやたくさんの貝がらなどが発見されています。
その頃は、山野や海の動植物だけを食料にして生活する原始社会でした。この貝塚から、九州の縄文時代にあたる市来式土器(いちきしきどき(注2))が発見され、また、奄美諸島でよくみられる爪形の模様をもつ土器などもたくさん出土しています。この貝塚は、他の同じ時期の貝塚に比べて、とくに土器の形式が奄美の土器によく似ていることが特色です。このことから、この貝塚を残した人々の時期や、奄美・九州など北とのつながりがあったことが分かります。
 昭和58年3月21日 沖縄県教育委員会 浦添市教育委員会

沖縄の貝塚時代の文化は縄文系ですが、次第に沖縄独自性を強めていきました。本土が、弥生時代、古墳時代に入っても、平安時代頃まで、沖縄は独自の狩猟採集、漁労の文化(注3)が続いていたようです。

(注1)伊祖トンネル…当初はトンネルの上を通る沖縄県道153号線と立体交差する予定でしたが、建設予定地に貝塚(遺跡)が発見されたため、県道との交差せずにトンネルを掘って県道をアンダーパスすることになりました。

(注2)市来式土器…鹿児島県市来町の地名から名付けられたもので、九州縄文時代後期の土器です。口の部分が波のようになって貝殻模様をつけているのが特徴です。

(注3)沖縄の貝塚時代前期は本土の縄文時代で、土器を使用した狩猟採集が見られます。後期は弥生時代から平安時代にかけてで、漁労経済に変わります。農耕は後期の末まで行われませんでした。



◎「浦添貝塚」の場所は、です。