ペリーの旗立岩





中城村の史跡「ペリーの旗立岩」です。道を1本でも間違えたら、行けそうもない場所にあります。沖縄に来て1度も行ったことのない地域でしたので、道路地図とナビを にらめっこしながら、ひたすらオーシャンキャッスルカントリークラブの西の道を目指しました。

尚巴志(注1)は三山を統一した後、首里城から西原町幸地グスク、中城グスク、勝連グスクに至る道を整備しました。そのうち、旗立岩に至る道は、中城村の崖に沿って道があることから崖っぷちの道、つまり「ハンタ道」と言われています。このハンタ道は、国の指定文化財になっています。

さて、旗立岩ですが、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が日本の浦賀に入港する前の1853年、琉球に立ち寄り、調査隊が、本島探検の途中に中城グスクへ至るハンタ道の道中で、この岩山の周辺で休憩しました。その際に岩山の上に旗を立て、岩山征服記念に祝砲を撃ったとされています。その様子が調査隊に同行していたハイネにより描かれています。ペリー提督の『日本遠征記』の中で、この大岩をバナーロック(Banner Rock)と名付けたという記載があります。 この大岩は地元では「ターチャーイワ(二つ岩)」と呼ばれています。

地元の案内板には、以上の説明と一部、重複しますが、次のとおり記されています(原文のまま)。
ペリーの旗立岩(中城村指定史跡)
1853年5月26日、那覇港に来航したペリー提督一行は12名の奥地探検隊を編成し同月30日、沖縄本島の奥地と東海岸を探検する目的で、首里城から出発しました。一行は本島東側の中頭方東道(通称ハンタ道)を通り西原から中城に入り、南上原、北上原、新垣、中城城を経て北上して行きました。
一行は途中、新垣で本当の東西を見渡すことのできる風光明媚な岩山のそばで休憩をしました。そしてその際に岩上に星条旗を立て、岩山征服を記念して祝砲を打ち、この岩を旗立岩(Banner Rock)と名付けました。
地元では、この旗立岩のことをターチー岩(ふたつ岩)又はターチャー岩と呼んでいましたが、中城村ではこのペリー探検隊の出来事に由来して、この岩をペリーの旗立岩と称し平成9(1997)年に史跡に指定しました。

なお、そのペリー御一行様は、沖縄で乱暴狼藉の限りをつくし、無法な振る舞いをしました。
どんなことをしたのか、詳しくは ⇒ コチラから

随行した画家ウイリアム・ハイネが残したスケッチ 現地の案内板


(注1)尚巴志…琉球王国・第一尚氏王統の第二代王で、1429年、三山(中山、山北、山南)を統一し、琉球王国を成立させた。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 旗立岩 国道329号線の奥間から県道35号線に入り、途中、右に入る狭い道を探すとT字路がありましたので、1キロほど進むと展望台のような建物があり、その前が駐車場です。ここに車を止め、あとは歩いてすぐです。


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