あさやら公園「おもろの碑」


おもろの碑


浦添市伊祖(いそ)にあります。伊祖は、島言葉で「いーず」、「いーじゅ」、「ゑぞ」 ともいいます。市の中央部にあり、伊祖城跡の南西に位置します。古い歴史のある集落で、大和の歴史では江戸時代にあたる1621年、浦添王子朝良知行目録に「江曾」、「おもろそうし」には「ゑぞ」、「琉球国高究帖」には「ゑそ村」、18世紀の「琉球国由来記」には「伊祖村」と表示されています。今回は伊祖の史跡、「おもろの碑」をご紹介しましょう。この碑は、あさやら公園内にあります。

伊祖城は、琉球の歌謡集「おもろさうし」に、「いしぐすく(石城)」、「かなぐすく(金城)」とその堅牢をうたわれた、英祖王統(西暦1260 〜 1349年)5代の居城です。その王統初代の英祖王(えいそおう)は「ゑぞのてだ(伊祖の太陽)」とも讃えられ、1260年に即位し、在位40年に及んだと伝えられています。

歌碑にある「おもろ」は、
ゑぞゑぞの いしぐすく あまみきよが たくだるぐすく
 また ゑぞゑぞの かなぐすく
     おもろさうし巻十五の十五より

歌の意味は、「伊祖、伊祖の石造りの城(ぐすく)は、あまみきよが造った城(ぐすく)だ。
伊祖の頑丈で立派な城(ぐすく)だ」という内容です。

「いしぐすく」「かなぐすく」は共にぐすくの美称で、堅個な城という意味です。「あまみきよ」は琉球神話上の創世神です。伊祖ぐすく を悠久の昔からのものとして讃えているのです。「たくだる」は、直訳すると企んだという意味ですが、悪いことをもくろんだ訳ではないので、ここでは造ったという解釈をしました。

「おもろ」とは、神にささげる歌で、神への言葉、古謡で村や間切、王府の祭りの時に謡われていました。関西弁の「おもろい」という意味はありません。英祖王の誕生した伊祖ぐすくや、浦添の土地や人物を讃えた「おもろ」が多くあり、全部で1554首ある「おもろ」の中には浦添にかかわる「おもろ」が67首あります。浦添市では、この中から10首選んで現代の書家に書いてもらい、石に刻んで「おもろ」にゆかりのある土地に建てました。

現地にこの碑を建てた経緯が紹介されていました。内容は、次のとおりです。

おもろの碑建立について
浅野浦地域は、原野や田畑が区画整理されて出来た新興住宅地で、昭和51年12月に自治会が結成されました。「この地に何か一つ文化財的なものを欲しい」という思いが高まり、辿り着いたのが「おもろの碑」の建立でした。
浅野浦の土地は元来殆どが伊祖の小字、伊祖ぐすくを讃える素晴らしいおもろがある、これは浅野浦も由緒ある土地だと誉めていること、建てるのに最適の場所があさやら公園内にある−等々条件は揃っています。
この「おもろの碑」が浅野浦地域住民の、地域への愛着と絆、誇り、心のよりどころ、子どもたちのふるさとのシンボルとなるように、また、地域外の人にも浅野浦を知っていただく一つのよすがとし、更には市内外にもこの様な事が広がっていく事を願う。という趣旨・目的は、自治会員はもとより多くの方々の賛同を呼び、激励と期待、協力・支援となって大きな力となりました。
風薫る頃、新公民館落成と同時期に建立の日を迎えることが出来ましたのは、伊祖自治会・浦添市教育委員会・浦添市の建立快諾とご助言の賜と、心から感謝と御礼を申し上げます。
この「おもろの碑」建立が、浅野浦の更なる発展の好機となり、文化の風が吹き渡ってゆけば、この上ない喜びに存じます。
平成23年5月吉日 建立 浅野浦自治会 与座保子(発起人)

この碑の建っている場所は浦添市伊祖にあり、近くには浅野浦公民館がありますが、公園名の「あさやら」の意味がが分かりませんでした。伊祖にお住まいの私の所属するサークルの方2名に伺ってもご存じなかったので、「うらおそい歴史ガイドの会」の粟森弘政氏にお伺いしたところ、「あさやら」は小字(こあざ)名で、昔は「浅屋良原(あさやらばる)」という地名だったことが分かりました。粟森先生にはお手数をおかけしました。



あさやら公園 おもろの碑
あさやら公園 おもろの碑
案内碑 サガリバナ
案内碑 碑の前のサガリバナ(夜になると花が開く)

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ あさやら公園「おもろの碑」 公園の駐車場はありません。公園の車道と歩道の境界には車の進入を防ぐ石柱が置いてあります。周辺は住宅地です。私は、ゆっくり見たかったので浦添運動公園の駐車場に車を置いて歩きました。浦添バイパスを横断しなければなりませんが、横断歩道はありませんので陸橋を渡ります。所要時分は5分くらいでした。


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