赤犬子宮(あかいんこぐう)


赤犬子宮


初め読み方が分かりませんでした。単純に赤犬の子に関係のある神社だと思っていましたが、違っていました。赤犬子というのは、三線の始祖といわれている人の名で、父は村の若者、大屋のカマー、母は村一番の美女、屋嘉のチラー小でした。赤は、楚辺の字名「阿嘉」にちなんだものだと言います。赤犬子は、 読谷村観光協会のHPによれば、「あかいんこ」、「あかぬく」と読むそうです。

赤犬子宮は、琉球音楽の始祖とたたえられる赤犬子を祀っている宮であり、赤犬子の終焉の地でもあります。 昔から赤犬子ゆかりの地として、地元の人々や琉球古典音楽の愛好者がここを拝所としていたものを、昭和31年にお宮として鳥居や階段を作り、整備したそうです。 沖縄最古の歌集「おもろそうし」の中には、赤犬子が三線弾きの役職で王府で活躍していたとされる内容が何箇所かにわたって確認できるます。境内には、
「歌之道ひるく 世界に輝かち 犬子ねあがりや 末代までも  野村流音楽協会 読谷支部」
という歌碑があります。
この歌の意味は、「歌の道を広め世界に輝かせた犬子の三線の音色は、末代までも続くものよ」でしょうか。「ねあがり」には、音頭取りという意味があります。

ここ赤犬子宮では、毎年3月4日の「さんしんの日」には、琉球古典音楽と舞が奉納され、秋頃に開催される読谷まつりでは、「赤犬子琉球古典音楽大演奏会」が行われます。 200人余による大演奏会は未来への熱とパワーが最高潮に達する圧巻のステージです と観光協会のHPに紹介されています。



赤犬子宮 歌碑

三線の日の琉球古典音楽と舞の奉納

三線の日には、琉球古典音楽と舞が奉納されます(読谷村観光協会のHPよりお借りしました)。

地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 赤犬子宮 県道6号線の楚辺入口(米軍のトリイステーションの赤い鳥居がある)の信号の少し東寄りのファミマ駐車場の西の道を北へ。入口に台座に乗った碑があります。私は石碑に気が付かず、2回も素通りしてしまいました。


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