前島

 

前島(渡嘉敷村)

前島は、渡嘉敷島の東約7km、那覇の西20㎞にあります。沖縄県島尻郡渡嘉敷村に属しています。地元の人は「メージマ」とか「メーゲラマ」と呼んでいます。那覇から向うと慶良間の手前の方にあるので、前慶良間(マエケラマ)→“メーゲラマ”です。

大戦の前は、多いときには350人ほどの住民が住んでおり、カツオ漁や島にあるリュウキュウマツで薪を作っていました。この薪は“慶良間薪(けらまたきぎ)といって良質の燃料として重宝されていましたが、自然災害が何度も島を襲ったうえ、昭和37年の台風の被害によって、当時の住民36名全員が沖縄本島に集団移住しました。その後は長らく無人島となっていましたが、 現在、中村文雄さん(訪問当時80才)という元島民が農耕などをするため島に通っているので、住人一人の孤島です。しかし、定住している訳ではないので、ほぼ無人島です。

定期航路がないので、島に行くには渡嘉敷港や本島から船をチャーターするか、ヨットかエンジン付きの船を持っている人とお友達になるか (^-^)、旅行会社のツアーに参加するしか方法がありません。島には宿泊施設はありません。砂浜でキャンプはできるそうですが、商店も無いので、食糧等は持参する必要があります。もちろん、電気も水道もありません。あるのは旧集落跡に残る石垣と美しいビーチだけです。なお、前島にはハブはいないそうです。

船のチャーター料は、渡嘉敷島の漁業協同組合によれば利用人数に関係なく一艘3~5万円くらいだそうです。船と言っても漁船か釣り船なので、大勢は乗れません。また、当然ですが、天候不順や波が高いと出航しません。私が行った初日も朝は大雨で、その日はダメかもしれないと案内人さんも言っていましたが、昼前から急速に天気が回復し、午後1時に出航が決まりました。急ぎ渡嘉敷港に着くと定員10人くらい乗れる船が二艘待っていました。一艘は屋根がありましたが、もう一艘は大きなボートにエンジンが付いているといった程度の船でした。その日は結構、波が高く、波を乗り越えて進んで行きました。何度も一瞬、宙に浮いたような感じがありました。浮き上がって着水するとき波しぶきを上げるので、座った場所によっては濡れるという案内人さんの話のとおり、島に着いてスラックスを見たら膝から下はズブ濡れでした。乾いてから触ったら塩を吹いていました。これでは翌日は穿けないので、宿に帰って洗濯機に放り込み、何度もすすぎ洗いをしました。

今、島に残っている建物は、私が見たのは中村さんの住居と神社、拝所、井戸、小中学校跡の壁のない屋根と骨組みだけの小屋、そして、昔の島民が来たときに泊まる海辺から入り組んだところにある建物は、平成30年9月の台風24号の瞬間最大風速65mの大波が浜辺を乗り越えて建物内まで入り込み、トタンは破れ、中は惨憺たる状況でした。旧集落の家は残っていませんが、真っ直ぐな道沿いにブロックや石垣だけが残っていました。しかし、その幅は1メートルくらいしかなく、人がすれ違うのがやっと、という道でした。

なお、この島は、大戦で一人も犠牲者を出さなかった奇跡の島です。その当時、約270人の島民がいましたが、全員無事でした。なぜそのようなことができたのか。その秘密は「無防備都市宣言」にありました。当時、前島には日本軍がいませんでした。そんな中、米軍の来襲にそなえて日本軍が守備隊を駐留させようと来島しましたが、同島の国民学校の分校長が「軍隊がいては住民の命を守れない」と軍を説得して駐留を阻止させたといいます。やがて米軍が前島にやってきた時、分校長がこの島には兵隊がいないことを伝え、それが確認されると、米軍はこの島に危害を加えず引き揚げたという話です。 当時の日本軍にも話の分かる将校がいたようですね。

こんな前島では、ニュースになるようなこともなく、平和な時間が流れる静かな島なのですが、今年(平成30年)になって、前島に関して、立て続けでこんな事件、事故がありました。

平成30年11月9日、午後4時37分ごろ、渡嘉敷村の前島沖で米国人8人が乗る小型ボートが転覆する水難事故がありました。那覇海上保安部と航空自衛隊の船や航空機が出動し、全員を救助しました。いずれも生命に別条はありませんでした。
那覇海保によると、8人は同日午前8時半ろに北谷町フィッシャリーナから小型ボートで出港し、渡嘉敷村の前島でバーベキューをしました。一行は同午後3時半ごろに前島を出港しましたが、ボートのエンジンが故障し、波を受けて転覆してしまいました。乗船者のうち4人は前島の北に位置するハテ島に流れ着きましたが、残り4人は洋上に漂流しました。海保が漂流者をヘリでつり上げて救助してハテ島へ移送し、その後、航空自衛隊の航空機が全員を乗せて那覇空港へ搬送しました(平成30年11月10日付け沖縄タイムス+プラスより)。

もう一件は、航空自衛隊那覇基地が渡嘉敷村と「永久承諾」の取り決めがあるとして、年に100回以上も同島で訓練を行っていたことが、11月21日確認されたというものです。ところが、村は「過去に取り決めをしたこともなく、永久承諾という言葉さえ聞いたこともない」ということからニュースとなりました。 航空自衛隊側は、取り決めがあるというものの合意した文書も「不明」としており、村側は契約したというなら文書が双方に残っているはずで、議会に報告もせず契約するはずがないと否定しています(平成30年12月9日付け琉球新報より)。国と村という公的機関同士で文書のない協定なんてあるのかなぁ。



渡し船 崖葬墓
私が乗った前島への渡し船 崖葬墓
崖葬墓 台風で破壊された小屋
唯一の島民、中村さんの自宅 台風で破壊された小屋
ノロや先祖を祀る神域 往時の道
ノロや先祖を祀る神域 人が住んでいたころの道、幅は1㍍
前島の海

この日の前島の海。遠くは沖縄本島が見える。私の乗った渡し船は、接岸を維持できなくて沖合で待機。



地図をご覧になる方はコチラから ⇒ 前島。 旧集落の地図は ⇒ コチラから



◎このサイトでご紹介している渡嘉敷島の名所・史跡などについては、次の ⇒ コチラからとリンクしています。
・赤間山の烽火台跡 ⇒ コチラから
・阿波連 ⇒ コチラから
・阿波連園地 ⇒ コチラから
・ウニギラマの伝説 ⇒ コチラから
・海神宮 ⇒ コチラから
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・クバンダキ展望台 ⇒ コチラから
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・根元家の石垣 ⇒ コチラから
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・船越原遺跡 ⇒ コチラから
・前島 ⇒ コチラから


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