澤岻(たくし)拝所


澤岻拝所


鳥居の扁額には沢岻拝所と刻まれています。急な石段を上った所に祠があり、拝殿には五つの御嶽と二つの拝所が合祀されていました。左から「火水の守」、「西之お嶽」、「中之お嶽」、「公芳お嶽」、「金満お嶽」、「東之お嶽」、少し離れて右端は「根所」とありました。

それぞれの名前を刻んだ石板がはめ込まれていますが、沢岻集落に分散していた拝所を、戦後の宅地開発で昭和43年(1968)にクビリ山の東端にまとめて沢岻拝所として祀られたそうです。また、壁には、西洋の窓をイメージさせるような飾り窓のような穴が、一面に空けられていました。配置や穴の数にどういう意味があるのかは分かりません。

建物の裏に回るとコチラには、左から順に『西之トン』、『中之トン』、『上之トン』、『東之トン』、『ハンダガー』、『チブガー』、『東ヒージャー』となっていました。「トン」とは、殿(トゥン)のことで、集落の神祭りを行う場所のことです。地域によっては神アシャギともいいます。ガー(カー)やヒージャーは、集落の共同井泉のことをいいます。

建物の西には、戦没者慰霊之碑が見えました。
『碑文』には「ここはふるさと沢岻の丘 静かに安らかに眠ってください 私たちは二度と あの残酷な戦争を 起こさないように 子や孫たちに 平和の尊さを 語り伝えます 平和を守ることを 誓います それが何よりの 供養になることを信じ 三四五柱の御芳名を刻銘し ご冥福を祈ります」とあり、『鎮魂の詩』には、「永久に平和求めて 沢岻の人(シマンチュ)は 安らかに眠れとぞ祈る 故郷の高嶺に」仁儀・・・と記されていました。碑の向かい側には、手書きで「忠魂不滅慰霊之碑」と記された岩もあり「六十二師団(石部隊)独立歩兵隊第二十三大隊ハ、嘉数、安波茶ノ戦闘ヲ経テ山本部隊長以下コノ沢岻ノ台地ニ於テ玉砕ス(昭和二〇、五、十三日)」と記されています。



鳥居 鳥居の扁額
正面の鳥居 鳥居の扁額
御嶽と拝所 トンとガー
整然と並んだ御嶽と拝所 建物の裏はトンとガーと香炉
戦没者慰霊之碑 忠魂不滅慰霊之碑
戦没者慰霊之碑 忠魂不滅慰霊之碑


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